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断想的に
だんそうてきに
作品ID52761
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「新潮 第二十五巻第九号(九月号)」新潮社、1928(昭和3)年9月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-08-21 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 葛西善蔵氏の――。
 斯う誌しただけで私は、この十幾日を呆然と打ち過した。合憎、また雨ばかりが好く降り続いたものだ。
 葛西善蔵氏の――何から書いたら私はこの一文を適度に纏め得るか――私は迷つてしまつたのである。誌すならば、今日は、何か総体的に形式を重んじた古流の一文を念としたのであるが、それには私の筆は余りに不自由である。
 論や批評は、殊に今日は苦しい。
 何か手近の軽い緒口を――などゝ私は思ひ直して、煙草を喫し始めると私は傍らの火鉢で切りに湯気を吹いてゐる一つの鉄瓶に気づいた。――忘れてゐたが、これは、いつか葛西氏が私に贈つた物である。何の為であつたか思ひ出せないが、たしか、何かの祝ひの志であつた。
 葛西氏は、これを買ふのに二日だか三日懸つたのだとのことだつた。方々の店を見聞した後に漸く日本橋の何某店で、我慢したのであるとのことだつた。
 そしてお祝物には魚を添えなければならない(葛西氏は常に、故国の習慣に忠実であつたらしい。)と気づいたので、今日は、わざわざ丸ビルの食料品店に出掛けて、この魚を購つて来た、まあ、どうぞ、これを――といふやうに、半ば鹿爪らしく、半ば苦笑をしながら、恭々しく贈られた。(いろんな場合で葛西氏は、自ら力をこめて、厳めしいスタイリストの面目を発揮した。)
 そして、その晩は、今日は遊びに来たのではない、これだけの用で来たのであるから――と、たつて云ひ張つて、間もなく、待たしてあつた自動車に打ち乗つて引き返した。
 何かのわけがあつて酷くフテくさつてゐた私を大変に励ました揚句、今回は俺が君の仕事の催促係りを引きうけた! といふほどの好意で、足労を惜まず私を訪れて呉れ、お蔭で、私の或る一作が出来上つた頃のことであつた。
 思ひ出のあるものを身近かに置くことの嫌ひな葛西氏であるが、この鉄瓶は、あれからずつと私の机辺で、葛西氏の思惑通り、私に別段何の関心も持たさずに、重宝してゐるやうだ。――全く、不図今、思ひついた、鉄瓶だ。
 私は、葛西氏から精神上の多くの花やかな好意を享けた。そして、殆ど、争ひや不和を生じたことがない。それどころか私の耳目では、相対しては、私が賞讚されたことばかりが多く思ひ出されて返つて切ない気がするのである、そして誌し憎い。極くはぢめの頃、たつた一度何かのことで喧嘩見たいなことがあつたが、それは葛西氏が私の印象記のうちで漠然と語り、またその翌日私が訪れを享けて氷解した。
 そして私は、別段葛西氏に対して私自身を遠慮したといふ感じはない。私は、一体に遠慮深い私自身を凡そ自由気儘に、私のまゝに朗らかに翼を伸させて呉れた先輩として君を忘れることは出来ない。
 私は、極く稀に、西洋風の踊りを、酔つて独り立つて演ずることがある。本格のものではなしに半ば出たら目の振つけなのだ。目上の人の前では勿論、誰の前でも滅多に踊らない…

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