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東中野にて
ひがしなかのにて
作品ID52763
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「新潮 第二十五巻第十二号(十二月号)」新潮社、1928(昭和3)年12月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-08-24 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十一月四日。東京市外、東中野――余儀ない遊びを続けてゐる若い友達夫婦が一ト間だけ借りてゐる二階に客となり続けてゐる。迎へをうけて、導かれて来たまゝなので番地は知らない。帰つたところでこの客はハガキ一本書くではなし、此処の何某方何番地を訊ねる要もない。
 その上、この部屋を嫌つてゐる彼等は、めいめいの鞄を携えて、この客と共にこの客が住む田舎へ走り、変じて客となり、気永に叩いても凡そ妙案の浮ばぬこの客である海辺のアバラ家の文士を相手に、彼等の生涯の花々しい首途に就いて、具体的(!)の案を練らなければならないのである。
 一体この客の血は、大昔の祖先達以来夢にのみ情熱的で、世の中のことに就いての決断力に欠けてゐる。半世紀あまりも前の故郷の歴史に就いて、あまり大声では云ひたくない。斯んなエピソードがある。徳川の太平に移らぬ世は戦国の時である。ただ壕を廻らせたゞけで安堵の胸を抱き、夙に風流の夢に耽つてゐた一城主があつた。天狗の羽ばたきのみを聴き度いために、天主閣を築き、楼上に籠つて日夜あらぬ方へ耳をそばだてゝゐた城主であつた。
 或日楼の窓から遥かの山を見渡すと、計らずも攻め寄せてゐた大敵の烽火の挙るのを認めて急を告げた家臣があつた。直に城中こぞつて、徹宵額をあつめて議を廻らすのであつたが、幾夜々々続けても、天狗の羽ばたきにのみ想ひを馳せてゐた夢想家達には、決して具体の案が浮ばなかつた。たゞ、ひたすら切つ端詰つて、如何にせばや! /\と口々に呟き不安に馳られるのみで果しがなかつた。翌朝、怖る/\遥かの山を覗き見ると、何たる奇蹟ぞや、山上には一夜のうちに威風天地を払はんばかりに堂々たる城廓がそびえ立つてゐるではないか。一瞥、その威に打たれて、戦はずして和議を申し出た。が、後に験べて見ると山上の城廊は紙貼りのセツトであることが解り、秘かに無念の苦笑を洩したが、考へて見れば、それも佳し/\! といふ胸を開いて、一同麗かな空に、永遠の平和を祈りながら、天狗の夢を続けたのである。
 幾百年の星移り物は変つたが、残された壕については、現今、今や、埋めて有効な土地となすべきか、然らず古蹟を保存すべきか! といふ両々の二説が数年来相からんで、戸別を訪ねて賛否の印を求めるのであつたが、未だに果しのつかぬ小さな陽気の好い町である。或者は当時の総理大臣に面会し、或者は藩主に伺ひをたてたが、定らなかつた。そして、如何にせばや! は、「何うしたら好からうかね!」といふ言葉になつて、今も尚残り、稍ともすれば町の人々の口癖になつてゐた。
 この客も稍困惑の時に当ると、「何うしたら好からうかね。」と呟いで、虚ろな上眼を保つばかりで一向思案の浮ばぬ質である。
「明日あたり帰れるの?」
「帰りたいとは思つてゐるんだがね……何うしたら好からうかな?」
「一処に行くのは関はないね。」
「それは関はないさ、…

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