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初夏通信
しょかつうしん
作品ID52784
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「近代生活 第二巻第七号(七月号)」近代生活社、1930(昭和5)年7月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-25 / 2016-05-09
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



(封書――。宛名、神奈川県足柄上郡R――村字鬼塚タバン・アウエルバツハ気付、御常連殿)
 僕は東京の生活が物珍らしく、愉快で愉快でマメイドのことなんて思ひ出す余裕もなかつたよ。それで、君達が何んなに憤慨し、何んなに烈しく亢奮して夜毎に僕を罵倒してゐるであらうか! といふことは、時々僕のデイライト・スクリーンに、まざまざと写り出るのであるが、そんな光景もさつぱり怖ろしくないのだ。ミス・マメイド(居酒屋の娘)が二三日前に手紙を寄して、僕が其処を去つてから既に百日になる……といふやうなことを云つてゐたが、なるほど考へて見ると僕がほんの四五日のつもりで其処を出発したのは、たしか三日の[#「三日の」はママ]はじめだつたな、青野の裏庭の桃が蕾をもつてゐたことを覚えてゐる。そして僕の妻が、その桃の蕾を冬帽子のリボンにさしたゞらう。あの晩東京に着いて、何処に落着かうかと思ひながら銀座裏の酒場に立寄つて、君達にハガキを書いたりしてゐると、其処のとても綺麗な酌女が、その花を認めて、いろ/\な質問をするので、僕が今日までゐた村のこれこれの家の裏庭には、これ/\の桃林があつて、間もなく満開に至るであらう、さうすると村の人達は其処に集つてこれ/\の酒宴を開く――などといふことを説明すると、是非見物に行きたい、あなたはその頃に帰りますか? 無論帰るよ――それなら同行を希ひたい――よし! と約束したのであつたが――それから次々に、やあ、もう桃は済んでしまつたらう、今度は桜だ、桜だつてこれ/\の堤に、斯んな風な桜並木がある、その花盛りは桃と違つて、とても賑やかだから、その時に帰ると仕よう――おや、もう桜は散つてしまつたか、そんなら海棠の林がある、桜とはその風情を異にして海棠となると、これはまた一種頼もしい眺めである、桜のやうに忽ち咲いて忽ち散つてしまふといふのではなくして、相当の風や雨にも堪えて、散りゆくまでには仲々の手間がある、その海棠の古木が僕の知合のこれ/\の家には、昔から海棠屋敷といふ異名があるまでに、深々と生ひ繁り、花の季節となると雪洞を燭し、鶴を放つて、人々に披露をする、海棠の花なら散らぬまでに屹度帰れる自信がある、これに誘はう――が、それもやがて期を過し、では、青田の夜に飛び交うてゐる蛍の眺めを――とか、青葉の河原を――などゝ、云うに至つてしまつたが、今日ではもう僕の云ふことを信じなくなり、僕が次々と誘ひの言葉を発すると、彼の美女をはじめその他の友達連も、またあの大法螺先生のお国自慢がはじまつた、つまらぬ/\! と横を向いてしまふやうになり、僕もつまらぬので此頃では河岸を変へて日本橋辺の酒場やオデン屋に出没して、相変らず、「僕の村の――」やがて来るべき爽快な夏の話に花を咲かせてゐる。いや、これは、たしかに自信がある。夏までには必ず多くの土産物をたづさへて、諸君とマメイド…

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