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喜劇考
きげきこう
作品ID52792
副題(吾が、アウエルバツハの一節)
(わが、アウエルバッハのいっせつ)
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「作品 第一巻第八号(十二月号)」作品社、1930(昭和5)年12月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-13 / 2016-05-09
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

KATA-KOMAS

 ドリアン――彼女は私達の愛馬の名前である。私達といふのは、私の『西部劇通信』なる一文中に活躍してゐるその山間での村の私の親愛なる知友達である。あのアメリカ・インヂアンの着物を常住服として勇み立つてゐる――。ドリアンは私達が、水車小屋から何時でも自由に借りることが出来る私の「ロシナンテ」である。ドリアンの他に私達は必要に応じては、馬蹄鍛冶屋のタイキ、野菜市場のワカクサ、タバン・マメイドのペガウサス、蜜柑問屋のホワイト・ローズ、村長家のマーガレツト、牧場のリリイ等と、何時でも勢ぞろひをさせることができる。私達は貧しく、そして野蛮ではあつたが、不平を持つ間がなかつたから村人の間に或種の信用を拍してゐたのである。
 近郷近在の村々は祭りの季節に入つて、私の知友連は野良その他の仕事を休み私の部屋を訪れて私に依つて西洋流のダンスを習つてゐたが、あまり毎日/\麗らかな天気が打ち続く故、ひとつ、あの! ――と、私の或るアパートになつてゐる蜜柑林の中の三つのテントを指差して、
「あれらを携へて幾日間か村を遍歴して来ようではないか?」と提言した者があつたのだ。――(私は、その村のアバラ屋に移り住むまでは隣り村で、黒い扉のついた石の門のある家に住んでゐたのだが、追放され、此方の村に移つたが、私はその時、俺は斯んな狭い家には住めない、俺には単独の寝室と書斎とそして物理の実験室がなくては困るのだ――と呟き、思案したが、追はれる程の身分だから家の建増などはかなふわけがない、それでも飽くまでも我を張つて倒々愚かにも蜜柑畑の一隅に三角や四角のテントを建てたりしたのである。ところが私はそんなに勿体振つて「自分」だとか「書斎」だとか、「独りの――」だとかと呟いで六ツヶしい顔をしたにも関はらず、いつの間にか雑居のアバラ屋に慣れてしまつて、その上、バアバリスティクな共和生活に不思議な生甲斐を覚え、「ストア派だ、健やかなストア派だ」などと呟きながら、書をひもとき、ペンを執り、または野良に出て蜜柑運びの馬車を駆つたり、居酒屋に立寄つてポーカーで勝ち、胸倉をとつて小突かれたりしても驚かなかつた。黒い門があつたり、実験室があつたりした家の中で、生命の不安に戦きながら文学に没頭してゐた自分などは回想するだに憐れであつた。そんな三つの天幕などは使用するどころか、取り脱す暇もなかつた程日々が多忙であつた。「不安は事物に対する吾々の臆見がもたらすのであつて、事物それ自体に不安の伴ふ暇はない。」――こいつは真理だ。野に出でゝ、陽を浴びよ。
 その提言は即坐に可決された。私達は、ドリアン以下十頭の駒をならべて――森に入つては鳥を打ち、川に降つたら魚をつかみ、夜になつたら樽を叩いて酔ツ私ひ、グウグウと鼾をあげて眠つてしまへば世話はない、明日は明日、今日は今日――そんなやうな意味で、処々に、
「…

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