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痩身記
そうしんき |
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作品ID | 52841 |
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著者 | 牧野 信一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房 2003(平成15)年5月10日 |
初出 | 「都新聞 第一七〇二四号~第一七〇二六号」都新聞社、1935(昭和10)年4月7日~9日 |
入力者 | 宮元淳一 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2011-11-18 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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一
この間うち、東京へ行つてゐた時、不図途上で、坪田譲治氏に出遇つた。坪田氏とは、会合などの時に二三度お目にかゝつたくらゐで、大森にゐたころ訪問を享けたこともあつたが、わたしがあちこちを転々としてゐるために、機会を得たいと思ひながら、その折を見出せなかつた。といふのは、わたしは坪田氏の作品は可成り久しい前から、主にその短篇を折に触れては愛読し、余程の親しみを感じてゐたので、大森でお目にかゝつた時にも満腔の悦びを感じ、却つてはなし足りぬものを覚えて、やがて、うらゝかな田甫道などを鳥や草や魚のことなどを語らひながら漫歩のかなふ日を自然と期待するやうな夢を抱いたのである。わたしは動ともすれば酒を飲むより他には何の能もなく、病気になどなつて、それがかなはぬやうな状態になど出遇ふと、全く何うすることも出来なくなり、その癖、人里離れた森蔭の水車小屋に住んだり、灯台のあかり一つより他には、自分の咳ばらひだけで人の気はひもない島の崖ぶちにラムプを灯したりしてゐるのであつたが、さて、たつたひとりで、杖でも曳いてあちらこちらを歩いて見ようかといふ段になると、何故か――といふよりも、それは未だ自分にさういふ折々の途方もない哀しさや忙しさに堪えるほどの胸が不足してゐるのだと思ふのであるが、どうにも漫然たる自分の姿を風物の中に手離すのが適はなくなつてしまふのであつた。それだけにわたしの孤独への憧れは一段と逞しく翼を伸べるわけでもあつた。自分のやうに、にぎやか好きな男にとつては、在りのまゝなる孤独に堪えることより他には、烈々たる寒風に吹き荒まれて目のあたりに魂を引き千断られる思ひの切実なる寂寞と、澎湃たる絶望感とに沈湎して骨にならぬ限りは拓かるべき道もないとおもつてわたしはあのやうな山径ばかりを転々としてゐるのであるが、何処に住んでも到底心から、身をもつて風物に溶け込むだけの雅量が見出し難かつた。
坪田譲治氏の作品から享ける切々たる哀感は常にわたしの胸に痛かつた。嘉村礒多氏のものから享ける切端詰つた人生の怖るべき憂鬱と、坪田氏のものから迫られる極みなきペーソスには往々わたしは、息苦しくなつた。恰もそれは、わたしがいつもたつたひとりで、森蔭の径や川のほとりをさ迷うとして、途中まで出かけて、意気地なくも慌てゝ引き返すと、しやにむに酒をあをつてしまはずには居られないといふやうな思ひであつた。
「私だつて左うですよ。こんな風にはなしながら歩いてゐると、こんなに呑気さうになつて来るけれど、ひとりでは、もう、とても/\……」
と嘉村礒多君はわらつたことがある。わたしは嘉村君と、天気の好い日などに、しばしばあてどもなく町中を歩いて、やがて野原に出て日暮時になり、更にまた電車のなくなるまでも街々を歩き、さういふ時には哀しさも忘れて、却つて得難いのびやかさを味はつたことが屡々だつた。
二
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