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首相の思出
そうりだいじんのおもいで
作品ID52889
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房
2002(平成14)年8月20日
初出「少年 第二〇四号(歴史小説号 八月号)」時事新報社、1920(大正9)年7月8日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-04 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昔、独逸のある貴族の家に大へんに可愛らしい、さうして美しい少年がありました。両親が非常に厳格だつたので、少年は無暗に外へ遊びに出ることが出来ませんでした。然し御殿のやうに立派な少年の室には、あらゆる書物や遊び道具がすつかり備へられてあつたから退屈をするやうな事は決してなかつたのです。遊び相手の召使も大勢居たけれど、何故か彼はそれ等の人達にとりまかれて、若様、若様とちやほや騒がれるよりも、天気のよい日には裏の花園へ出て昆虫を採集したり、雨の降つた日には自分の室で本を読んだり、母から買つて貰つた人形芝居を、独りでもてあそんだりすることが好きでした。
 彼は人形芝居を操ることが日増に上手になり、王様や道化や女王などが、彼の心の儘に自由に動くやうになりました。人形を操つてゐると、何となく自分はある大きな力を持つた神様にでもなつたかのやうな気持になるのでした。何故なら、泣かせようと思へば直ぐに泣くし、喜ばせようと思へば手と足との糸を引きさへすれば、人形は飛び上つて喜ぶからです。
 ――人間の世界もこれと同じやうなものだ。自分は今この人形達の凡べての力を持つてゐる王なのだ。若し自分が大人になつて、世間の人々を此の人形と同じやうに操ることが出来たら、自分は世界の王様になれる筈だ――こんなことを彼は時々考へました。
 それがだんだんに上手になつて、終ひには、たゞ泣かせたり笑はせたりばかりしてゐるだけでは満足が出来なくなつた彼は、或日のこと一所懸命になつてある芝居の筋書を作つて見ました。さうしてその筋書通りに人形を操つて見ましたが、自分としては非常に嬉しく満足しました。

 ある日のこと少年は、人形芝居の遊びにも疲れて、窓に倚つて外を眺めて居りました。花園の花に陽炎が静かにもえてゐる、美しい天気の日でした。
 垣の向ふに一軒の古い見すぼらしい家がありました。壁はくづれかゝつてゐたけれど、青々した蔦葛が一ぱいにそれを覆つてゐるので、却つて美しく見えました。窓の上には古風な文字で歌が書き付けられてあつて、その下には鉛色の筧の端が竜の頭になつてゐて、そこから銀色に映えた清水が、ハラハラとこばれてゐました。
 ふと見ると、その窓側の露台に、古びた長椅子の上に、真鍮のボタンの付いてゐる上衣を着た一人の老人が腰掛けてゐました。老人は木の間から洩れて来る日光に浴しながら、仮髪の縫ひとりをしてゐるらしく見えました。
 老人と少年との視線が出逢つた時、老人はニツコリと微笑みました。その時少年は、今迄嘗て感じた事のない静かな喜びが、胸に迫つて来るのに気が附きました。
 いつのことだつたか、その時は何気なく聞いてゐたので、少しも気に留まらなかつたが、母が「お隣のお爺さんはあゝして年中たつたひとりで暮してゐるのですよ。さぞ寂しいことだらうと皆が云つてゐるのだがね。けれども子もなし親類もないといふの…

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