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愚かな朝の話
おろかなあさのはなし |
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作品ID | 52899 |
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著者 | 牧野 信一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房 2002(平成14)年8月20日 |
初出 | 「秀才文壇 第二十一巻第四号(四月号)」文光堂、1921(大正10)年4月1日 |
入力者 | 宮元淳一 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2011-06-16 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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窓に限られた小さな空が紺碧に澄み渡つて、――何かかう今日の一日は愉快に暮せさうな、といふやうな爽々しい気持が、室の真中に上向けに寝転むだ儘、うつとりとその空を眺めあげた私の胸にふはふはと感ぜられました。
能ふ限り、意識して――その意識がワザとらしければワザとらしい程爽快なのです――見るからに行儀悪く四肢を延して、口に一杯満した煙りを戯れ気に、が無心に、細く細く口笛を吹くやうに突らせた脣から噴き出すと、それが殆ど天井迄蔦の如くに匍ひ昇る、――。
「胸中釈然……」
――そんな、と、私は思ひました。
で、勿論微風さへありません、春先の或る日曜の朝です。室の三分通りまで、開け放つた敷居を越して柔かな外光が覗き込むで、私は自分の肢体が舟のやうに浮びあがるのを感じました。さうして、いくらか眠りの足らないやうなトロトロとした薄ら甘さが――それをおさへてぽうつと眼を開いてゐることが更に余外な落着きを与へました。その眼で陽のとどかない室の隅を見ると夢のやうに白い煙りが蟠つてゐるかのやうにも見えました。
「いい朝だな。」
ふと、私はさう思ふと、人一倍怠惰な心の持主である自らが却つて幸福なもののやうな気などしました。
この快い日を、何か素晴しく面白いことをして暮さなければ……と、私は考へますと、――その考へることが既に「考へなければならないこと」に変つて、と、もう私の怠惰性は「――ねばならない。」――それに逆ひました。
「折角の……」――私はさういふ気持が、無心の恍惚さを強ひて奪ひ去られてしまふといふやうな心残りから感ぜられて、で私は、
「ああ俺はもう女のことを考へ始めやがつた。」と、気附いて、それに引きずられて行くのをとどめ難く思つたのです。性的感情に対する不自然な理性なのですが、全く私は女の事などを想ふことは不快に相違なかつたのですが、仕方がなくなつてしまつたといふものです。
「好いお天気だつてえのに、雨が降つてしまふわよ。純ちやんの朝起き! フフツ! どうしたつてえんだらう。」
ピシヤピシヤと音を立てて梯子段を昇つて来た従姉の照子は、私の様子を見ると、――、
「わざと」と邪推深い私は邪推しました――忙しさうに箪笥を引出して着物かなにかをガサガサと触つて居りました。
相手が何気なく言つたそんな言葉でも、私といふ男は、直ぐに「何といふ常套的な、無智な冗談を他人の気持も察しずに無茶に投げ出す厚顔な楽天家なんだらう。」などと、僭越な心を持つて苦々しく思ふのが癖で、で、その時ももう私はちよつとした戦ひの気分になつて、
「また、何処かへ出掛けるのかえ。」と、自らも冗談に事寄せた叱責を与へました。然しそんな偏狭な私の心持が照子に解らないのは当然のことです。
「お午から芝居へ行くの。」何気なく彼女はさう答へました。「一緒に伴れてつてやらうか。」
終りの言葉で更にもう一歩…