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晩秋
ばんしゅう
作品ID52905
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房
2002(平成14)年8月20日
初出「少女 第一〇八号(時雨の巻 十二月号)」時事新報社、1921(大正10)年11月8日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-05-17 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 僕はどうしても厭だ、と云つたが、みち子がどうしても行くんだ、と云つて承知しない。何故僕が強情を張るか、その理由はちよつと……云ひにくいこともないけれど、云つたつて仕様がないから、云はない。
「無性! 無性! 無性屋さん……」と叫んだかと思ふと、いきなりみち子は僕の背中をドンと打つた。
 僕はウーンと仰山なうめき声を発して死んだ真似をした。――さうしてみち子に悟られないやうに、薄く眼を開いて見たら、もうみち子の眼眦には涙が溜つてゐた。何といふ泣き虫な子だらう、僕は苦々しく思つた。少し可哀さうなやうな気もしないでもなかつたが、一体僕は同情心が深過ぎる性質で、その性質を自分でよく知つてゐたから、これツぱかりのことでまたそんな心を起してはよくない、教育の為に宜しくない――などゝ気が附いたので、黙つてゐた。
「ようツてエば……」
「ようとは何だ。あんまり甘えるな。」
 僕は起き上つて、厳然と坐り直つて、みち子の顔をウンと睨めた。――みち子は、急に僕が態度を改めたのでびつくりして、キヨトンと僕の顔を視詰めた。
「何だ! ひとが黙つてゐると思つていゝ気になつて……」
 みち子は、何とも形容の出来ない変な顔をして、尚も凝と僕の顔を見てゐる。少しく危いぞ、と思つたが、かういふところが大事なところだ、決して機嫌など取つてはならない――。
「その顔は何だ。怒りさへすればいゝと思つて。」
 之だけいつたら何とか返事があるだらうと思つたが、みち子は決して口を開かぬ。僕も少々焦れ度くなつて、
「知らないツと!」
 横を向いて、机の上の本に眼を落して了つた。
 それと同時にみち子はムツクリと立ち上つた。さうして物をも云はず足音荒く僕の室を出て行つた。そら始つた――と僕は思つた。然しかうなると僕も少々気になり始めたので、机の前を離れてそつと階段の降り口に忍び寄り、階下の様子を窺つた。
「泣いてゐちや解らないぢやないか、ええ? お前はほんとに泣き虫だよ、だから兄さんにからかはれるんだよ。」
「…………」
「どうしたツてえのさ、えゝ?」
「兄さんの嘘吐き!」
 突然みち子はシヤクリあげて、叫んだ。
「どんな約束をしたの? お母さんに云つて御覧――」
 それから稍暫くみち子は泣きじやくつてゐたが、漸くそれが収まると、次のやうなことを言ひ付けてゐた。
 それはもう十日も前に約束したことで、明日の日曜日に江之島へ行く筈になつてゐた。ほんとならこの前の日曜日に行くところだつたのが、その時になると「憎むべき兄」は突然急用が出来て、友達の家へ行つて夜おそく帰つた。その時も違約のことを攻めたら「この次には確だ。」と堅く云つてゐた。
 ところがいよ/\今日になると、「急に頭が痛くなつて来た、どうも近頃神経衰弱らしい。」と云ふ。「そんな都合のいゝ神経衰弱があるものですか。出掛けるのがそんなに億劫で厭なの…

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