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海のかなた
うみのかなた
作品ID52966
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 4」 講談社
1977(昭和52)年2月10日
初出「週刊朝日」1924(大正13)年1月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者富田倫生
公開 / 更新2012-03-29 / 2014-09-16
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 海に近く、昔の城跡がありました。
 波の音は、無心に、終日岸の岩角にぶつかって、砕けて、しぶきをあげていました。
 昔は、このあたりは、繁華な町があって、いろいろの店や、りっぱな建物がありましたのですけれど、いまは、荒れて、さびしい漁村になっていました。
 春になると、城跡にある、桜の木に花が咲きました。けれど、この咲いた花をながめて、歌をよんだり、詩を作ったりするような人もありませんでした。ただ、小鳥がきて、のどかに花の咲いている枝から枝に伝ってさえずるばかりでありました。
 夏がきても、また同じでありました。静かな自然には、変わりがないのです。日暮れ方になると、真っ赤に海のかなたが夕焼けして、その日もついに暮るるのでした。
 いつ、どこからともなく、一人のおじいさんが、この城跡のある村にはいってきました。手に一つのバイオリンを持ち、脊中に箱を負っていました。
 おじいさんは、上手にバイオリンを鳴らしました。そして、毎日このあたりの村々を歩いて、脊に負っている箱の中の薬を、村の人たちに売ったのであります。
 こうして、おじいさんは日の照る日中は村から、村へ歩きましたけれど、晩方にはいつも、この城跡にやってきて、そこにあった、昔の門の大きな礎石に、腰をかけました。そして、暮れてゆく海の景色をながめるのでありました。
「ああ、なんといういい景色だ。」と、おじいさんは海の方を見ながら、ため息をもらしました。おじいさんは、この海の暮れ方の景色を見ることが好きでした。
 つばめはしきりに、空を飛んで鳴いています。船の影は、黒く、ちょうど木の葉を浮かべたように、濃く青い波間に見えたり、隠れたりします。そして、真っ赤に、入り日の名残の地平線を染めていますのが、しだいしだいに、波に洗われるように、うすれていったのでありました。
 おじいさんは、ほとんど、毎日のようにここにきて、同じ石の上に腰を下ろしました。そして、沖の暮れ方の景色に見とれていましたが、そのうちに、バイオリンを鳴らすのでした。
 おじいさんの弾くバイオリンの音は、泣くように悲しい音をたてるかと思うと、また笑うようにいきいきとした気持ちにさせるのでした。その音色は、さびしい城跡に立っている木々の長い眠りをばさましました。また、古い木に巣を造っている小鳥をばびっくりさせました。そして、しまいには、うす青い、黄昏の空にはかなく消えて、また低く岸を打つ波の音にさらわれて、暗い奈落へと沈んでゆくのでした。おじいさんは、自分の鳴らす、バイオリンの音に、自分からうっとりとして、時のたつのを忘れることもありました。
 夏の日の晩方には、村の子供らがおおぜい、この城跡に集まってきて石を投げたり鬼ごっこをしたり、また繩をまわしたりして遊んでいました。子供らは、はじめのうちは、おじいさんの弾くバイオリンの音を珍しいものに思って…

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