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死児を産む
しじをうむ |
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作品ID | 53042 |
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著者 | 葛西 善蔵 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本文学全集31 葛西善蔵・嘉村礒多集」 集英社 1969(昭和44)年7月12日 |
入力者 | 住吉 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2011-12-09 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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この月の二十日前後と産婆に言われている大きな腹して、背丈がずんぐりなので醤油樽か何かでも詰めこんでいるかのような恰好して、おせいは、下宿の子持の女中につれられて、三丁目附近へ産衣の小ぎれを買いに出て行った。――もう三月一日だった。二三日前に雪が降って、まだ雪解けの泥路を、女中と話しながら、高下駄でせかせかと歩いて行く彼女の足音を、自分は二階の六畳の部屋の万年床の中で、いくらか心許ない気持で聞いていた。自分の部屋の西向きの窓は永い間締切りにしてあるのだが、前の下宿の裏側と三間とは隔っていない壁板に西日が射して、それが自分の部屋の東向きの窓障子の磨りガラスに明るく映って、やはり日増に和らいでくる気候を思わせるのだが、電線を鳴らし、窓障子をガタピシさせている風の音には、まだまだ冬の脅威が残っていた。
「早く暖かくなってくれないかなあ!……」と、自分はほとんど機械的にこう呟く。……
やがて、新モスの小ぎれ、ネル、晒し木綿などの包みを抱えて、おせいは帰ってきた。
「そっくりで、これで六円いくらになりましたわ。綿入り二枚分と、胴着と襦袢……赤んぼには麻の葉の模様を着せるものだそうだから」……彼女は枕元で包みをひろげて、こう自分に言って聞かせた。
「そうかねえ……」と、自分は彼女のニコニコした顔と紅い模様や鬱金色の小ぎれと見較べて、擽ったい気持を感じさせられた。
「ほんとに安いものね。六円いくらでみんな揃うんだから……」
自分はクルリと寝返りを打ったが、そっと口の中で苦笑を噛み潰した。
六円いくら――それはある雑誌に自分が談話をしたお礼として昨日二十円届けられた、その金だった。それが自分の二月じゅうの全収入……こればかしの金でどう使いようもないと思ったのが、偶然にもおせいの腹の子の産衣料となったというわけである。そして彼女はあのとおり嬉しそうな顔をしている。無智とも不憫とも言いようのない感じではないか。それにつけても、呪われた運命の子こそ哀れだ……悩ましさと自責の念から、忘れかけていた脊部肋間の神経痛が、また疼きだした。……
こうした生活が、ちょうどまる二カ月も続いているのだった。毎日午後の三四時ごろに起きては十二時近くまで寝床の中で酒を飲む。その酒を飲んでいる間だけが痛苦が忘れられたが、暁方目がさめると、ひとりでに呻き声が出ていた。装飾品といって何一つない部屋の、昼もつけ放しの電灯のみが、侘しく眺められた。
永い間自分は用心して、子を造るまいと思ってきたのに――自然には敵わないなあ!――ちょうど一年前「蠢くもの」という題でおせいとの醜い啀み合いを書いたが、その時分もおせいは故意にかまた実際にそう思いこんだのか、やはり姙娠してると言いだして、自分をしてその小説の中で、思わず、自然には敵わないなあ! と嘆息させたのであるが、その時は幸いに無事だったが、月から計…