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父の出郷
ちちのしゅっきょう |
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作品ID | 53043 |
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著者 | 葛西 善蔵 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本文学全集31 葛西善蔵・嘉村礒多集」 集英社 1969(昭和44)年7月12日 |
入力者 | 住吉 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2011-12-09 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 19 ページ(500字/頁で計算) |
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ほんのちょっとしたことからだったが、Fを郷里の妻の許に帰してやる気になった。母や妹たちの情愛の中に一週間も遊ばしてやりたいと思ったのだ。Fをつれてきてからちょうど一年ほどになるが、この夏私の義母が死んだ時いっしょに帰って、それもほんの二三日妻の実家に泊ってきたきりだった。この夏以来私は病気と貧乏とでずいぶん惨めだった。十月いっぱい私はほとんど病床で暮した。妻の方でも、妻も長女も、ことに二女はこのごろやはり結核性の腹膜とかで入院騒ぎなどしていて、来る手紙も来る手紙もいいことはなかった。寺の裏の山の椎の樹へ来る烏の啼き声にも私は朝夕不安な胸騒ぎを感じた。夏以来やもめ暮しの老いた父の消息も気がかりだった。まったく絶望的な惨めな気持だった。
「ここは昔お寺のできなかった前は地獄谷といって、罪人の頸を刎ねる場所だったのだそうですね」と、私はこのごろある人に聞いて、なるほどそうした場所だったのかと、心に思い当る気がした。
昨年の春私を訪ねてきて一泊して行った従兄のKは、十二月に東京で死んで骨になって郷里に帰った。今年の春伯母といっしょにはるばるとやってきて一泊して行った義母は、夏には両眼失明の上に惨めな死方をした。もう一人の従弟のT君はこの春突然やってきて二晩泊って行ったが、つい二三日前北海道のある市の未決監から封緘葉書のたよりをよこした。
――その後は御無沙汰しておりました。七月号K誌おみくじの作を拝見し、それに対するいたずら書きさしあげて以来の御無沙汰です。いや御通知いたしかねていたのです。半僧坊のおみくじでは、前途成好事――云々とあったが、あの際大吉は凶にかえるとあの茶店の別ピンさんが口にしたと思いますが、鎌倉から東京へ帰り、間もなく帰郷して例の関係事業に努力を傾注したのでしたが、慣れぬ商法の失敗がちで、つい情にひかされやすい私の性格から、ついにある犯罪を構成するような結果に立到り、表記の未決監に囚われの身となりおります次第、真に面目次第もありません。
昨日手にしたC誌十一月号にあなたの小品が発表されていましたので、懐かしさのあまり恥を忍んでこうした筆を取りました。それによると御病気の様子、それも例の持病の喘息とばかりでなく、もっと心にかかる状態のように伺われますが、いかがでございますか、せっかくお大事になさいますよう祈ります。私の身は本年じゅうには解決はつくまいと覚悟しております。……
ああ! と私はまたしても深い嘆息をしないわけに行かなかった。まったく救われない地獄の娑婆だという気がする。死んで行った人、雪の中の監獄のT君、そして自分らだってちっとも幸福ではない。
私も惨めであるが、Fも可哀相だった。彼は中学入学の予習をしているので、朝も早く、晩日が暮れてから遠い由比ヶ浜の学校から帰ってくるのだった。情愛のない、暗い、むしろ陰惨な世界だった。傷みや…