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遠方の母
えんぽうのはは
作品ID53055
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 6」 講談社
1977(昭和52)年4月10日
初出「赤い鳥 第十九卷第六號」1927(昭和2)年12月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者くろべえ
公開 / 更新2019-12-11 / 2019-11-24
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 正ちゃんは、三つになったときに、はじめて自分には、お母さんのないことを知りました。それは、どんなにさびしかったでありましょう。みんなに、お母さんがあるのに、どうして、自分にばかり、お母さんがないのか? それで、正ちゃんは、女中の脊中におぶわれながら、
「お母ちゃん、……お母ちゃん。」と、小さな掌で、女中の肩のあたりをたたきながら、呼びました。
 それは、「私には、ほかの子供たちのように、やさしいお母さんがないの?」と、たずねていることがよくわかりましたので、女中は、
「坊ちゃんのお母さんは、ののさまになってしまわれましたのですよ。」といって、青い空の方を指したのであります。
 しかし、ののさまということも、また、ののさまになれば、空へ上ってしまわなければならぬということも、まだ正ちゃんには、わかりませんでした。いろいろとかたことまじりに、女中に問いましたので、彼女は、
「坊ちゃんのお母さんは、遠いところへいってしまわれたのですよ。」と、哀れな子供に、説いて聞かせなければならなかったのです。
 彼女には、どうしても、このとき、死んでしまったということが、あまりに、子供に対して、いじらしくていえなかったのでした。
 正ちゃんは、お母さんが、遠いところへいったと聞くと、よく女中の話がわかりました。いつ、その遠いところから、帰ってくるかということも、また、その遠いところというのは、どこだろうということも知らなかったけれど、ただ、ぼんやりと、遠いところへいったのだということだけがわかりました。
 正ちゃんは、自分をよくかわいがってくれる女中の脊中にいて、不自由はしなかったけれど、自分にはほかの子供のように、お母さんがないのだと思ったときは、さびしそうにみえました。そして、どんなことを、小さな頭の中で思っているのか、
「お母ちゃん、……お母ちゃん。」といって、小さな掌で、女中の肩のあたりをたたいたのであります。
 ある日のこと、もう、夏でありましたから、女中は手にうちわを持っていました。そのうちわは、毎日のように、勝手もとへご用を聞きにくる、出入りの商人が暑中伺いに持ってきたのであって、だれが描いたのかしれないが、若い女の人が、晩方の町を歩いている絵が描いてありました。
 女中は、なんということなく、また深い考えもなく、脊中の正ちゃんに、うちわを見せて、
「坊ちゃんのお母さんは、ここにいられますよ。」といって、うちわの中の女の人を指さしたのでした。
 正ちゃんは、じっと、その絵にみとれていましたが、
「お母ちゃん。」といって、急に、かわいらしい手で、しっかりとうちわの柄をつかんでしまって、放しませんでした。
 その絵の女の人の顔は、あちらを向いているので半分しか描いてありません。けれど若い、しとやかな、美しい姿をしていました。そして、墨絵で書かれた町は、黒く浮き出て、…

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