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沼津千本松原
ぬまづせんぼんまつばら
作品ID53138
著者若山 牧水
文字遣い新字旧仮名
底本 「大きな活字で読みやすい本 新編・日本随筆紀行 心にふるさとがある4 海風に吹かれて」 作品社
1998(平成10)年4月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-08-24 / 2022-07-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が沼津に越して来ていつか七年経つた。或はこのまゝ此処に居据わることになるかも知れない。沼津に何の取柄があるではないが、唯だ一つ私の自慢するものがある。千本松原である。
 千本松原位ゐ見事な松が揃つてまたこの位ゐの大きさ豊さを持つた松原は恐らく他に無いと思ふ。狩野川の川口に起つて、千本浜、片浜、原、田子の浦の海岸に沿ひ徐に彎曲しながら遠く西、富士川の川口に及んでゐる。長さにして四里に近く、幅は百間以上の広さを保つて続いてをる。この全体を千本松原といふは或は当らないかも知れないが、而も寸分の断え間なく茂り合つて続き渡つてゐるのである。而して普通いふ千本松原、即ち沼津千本浜を中心とした辺が最もよく茂つて居る。松は多く古松、二抱へ三抱へのものが眼の及ぶ限りみつちりと相並んで聳え立つてゐるのである。ことに珍しいのはすべて此処の松には所謂磯馴松の曲りくねつた姿態がなく、杉や欅に見る真直な幹を伸ばして矗々と聳えて居ることである。
 今一つ二つ松原の特色として挙げたいのは、単に松ばかりが砂の上に並んでゐる所謂白砂青松式でないことである。白砂青松は明るくて綺麗ではあるが、見た感じが浅い、飽き易い。此処には聳え立つた松の下草に見ごとな雑木林が繁茂してゐるのである。下草だの雑木だのと云つても一握りの小さな枝幹を想像してはいけない。いづれも一抱へ前後、或はそれを越えてゐるものがある。
 その種類がまたいろ/\である。最も多いのはたぶ、犬ゆづり葉の二種類で、一は犬樟とも玉樟ともいふ樟科の木であり、一は本当のゆづり葉の木のやゝ葉の小さいものである。そして共にかゞやかしい葉を持つた常緑樹である。その他冬青木、椿、楢、櫨、楝、椋、とべら、胡頽子、臭木等多く、[#挿絵]などの思ひがけないものも立ち混つてゐる。而して此等の木々の根がたには篠や虎杖が生え、まんりやう藪柑子が群がり、所によつては羊歯が密生してをる。さういふ所に入つてゆくと、もう浜の松原の感じではない。森林の中を歩く気持である。
 順序としてこれ等の木の茂み、またはその木の実に集まつて来るいろ/\の鳥の事を語らねばならぬ。が、不幸にして私はたゞ徒にその微妙な啼き声を聴き、愛らしい姿を見るだけで、その名を知らぬ。僅に其処に常住する鴉――これもこの大きな松の梢の茂みの中に見る時おもひの外の美しい姿となるものである、ことに雨にいゝ――季節によつて往来する山雀、四十雀、松雀、鵯、椋鳥、鶫、百舌鳥、鶯、眼白、頬白等を数ふるに過ぎぬ。有明月の影もまだ明らかな暁に其処に入つてゆけば折々啄木鳥の鋭い姿と声とに出会ふ。
 夜はまた遠く近く梟の声が起る。見ごとなのは椋鳥の群るゝ時で数百羽のこの鳥が中空に聳えた老松の梢から梢を群れながら渡つてゆくのは壮観である。
 秋の紅葉は寒国のもので、暖かい国だとよく紅葉しない。楓など寧ろきたない黄褐色に染つて永…

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