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そう
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」 ちくま文庫、筑摩書房
2008(平成20)年8月10日
初出「新小説」1910(明治43)年9月号
入力者門田裕志
校正者坂本真一
公開 / 更新2020-07-21 / 2020-06-27
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 何処からともなく一人の僧侶が、この村に入って来た。色の褪せた茶色の衣を着て、草鞋を穿いていた。小さな磐を鳴らして、片手に黒塗の椀を持て、戸毎、戸毎に立って、経を唱え托鉢をして歩いた。
 その僧は、物穏かな五十余りの年格好であった。静かな調子で経を唱える。伏目になって経を唱えている間も、何事をか深く考えている様子であった。眉毛は、白く長く延びていた。頭にはもはや、幾たびか、雨に当り、風に晒されて色づいた笠を被っている。短かい秋の日でも落付いて、戸毎、戸毎に立って家の者が挨拶をするまでは去らなかった。羽子の衰えた蜻蛉は、赤く色づいた柿の葉に止っては立ち上り、また下りて来て止っている。磐の音は穏かに、風のない静かな昼に響いた。眤と僧は立止って、お経を唱えている。
 この僧を見た人は、「またお坊さんが村へお出なさった。」といった。家の中からは、「お通り。」という声がする時もあった。その時には、僧は静かにその家の前を立去った。また或時は「出ない。」と、子供の声で怒鳴る時もあった。その時にも僧は静かにその家の前を立去った。また或時は、若者の声で「通れ。」と叱り付けるように言う時もあった。その時にも僧は、やはり穏かにその家の前を立去った。一軒の家を立去ればその隣の家へと行って、同じ穏かな調子で経文を唱えた。磐の音はゆるやかに響いた。何事をか考え、何事をか、その家に祈っているように、白い長い眉は、瞑黙した眼の上に見られた。圃には、赤く枯れたかぼちゃの蔓や、枯れ残った草の葉に、薄い、秋の日が照る時もあった。
 一時、この村には、隔った町から移って来た人などもあって、其等の人々の中には、病身勝な者や、気の狂っている者もあった。秋も末になると寒い風が吹く。村の木立は、何れも西北の風に、葉が振い落ちて、村の中が何となく淋れて来た。藁屋の、今迄、圃の繁りや、木の枝に隠れて見えなかったのが、急に圃も、森も、裸となって、灰色の家根が現われ、その家の前で物を乾したり、働いている人の姿などが見えた。
 弱い日の光りが、雲に浸んで、其等の景色をほんのりと明るく見せていたかと思うと、急に風が変って、雨が降って来る。晩方にかけては、空は暗くなって、霰や、霙なども混って降って来た。圃の畦には白く溜って、枯れた草の上も白くなった。風は、益々加わって、家々は、早く戸を閉めてしまう。この時、僧は何処へ去るであろうかと思わしめた。
 明る日は、外は白くなっていた。空は不安に、雲が乱れていて、もはや雪の来る始めの日であることが分った。昼時分、やはり何処からともなく僧は村に入って来た。或長屋の角に立って、磐を鳴らして、霙混りの泥途の中に立って、やはり眼を閉って経を唱えていた。
 家の中から、女房の声がして、
「さあ、上ますぜね。」といって、つづいてぱらぱらと穴銭の、黒い托鉢の中に落ちる音がした。やがて、女房の…

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