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とびら
作品ID53156
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」 ちくま文庫、筑摩書房
2008(平成20)年8月10日
初出「早稲田文學」1910(明治43)年4月号
入力者門田裕志
校正者坂本真一
公開 / 更新2021-07-22 / 2021-06-28
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 陰気な建物には小さな窓があった。大きな灰色をした怪物に、いくつかの眼があいているようだ。怪物は大分年を取っていた。老耄していた。日が当ると茫漠とした影が平な地面に落ちるけれど曇っているので鼠色の幕を垂れたような空に、濃く浮き出ていた。
 室の中にはいくつかの室が仕切ってあった。いずれも長方形の室で壁が灰色に塗ってあった。この家は外形から見て陰気なばかりでなく中に入ると更に陰気であった。このまま動き出したら、疑いもなく魔物であった。
 夜になると、このいくつかの眼に赤く燈火が点る。中に人が住んでいるからだ。だから全く死んだ怪物の骸が野中に捨てられてあるのでない。動かなくとも幾分かの生気があるのだ。
 壊れたベンチと、傷が付いて塗った机がどの室にも置いてあった。机の上の傷は小刀で白く抉った傷である。X形のもあればS形のもある。ある傷は故意に付けたものだ。たとえば軍艦の碇を彫ったのなどは、誰かが学校の帽章を想像したかもしくは戦争の図などを見た時に退屈まぎれに故意に彫ったものだ。その他の傷は大抵自然に付いたものであろう。
 Kはベンチに腰をかけたまま何か書いていた。彼は昨夜も食堂に出て来なかった。Bは床を出ると早速Kの室にやって来たが、気兼をして障子の孔から覗いて見た。まだ昨夜のランプが魂の抜けたように茫然と弱く点いていた。Kは一生懸命にペンを走らせていた。
 Bは自分の室へ帰ってからも、Kのことが気になってならなかった。真白な厚い蒲団の上に肥えた身体を投げ出して悶え始めた。何をKが書いているだろう。……
 Bには、Kのすることが気にかかってならない。BにはKの言ったことには不思議に反抗が出来なかった。
 BはまたKの室の前に来た。中の様子を気遣いながら、腰を屈めて覗いた。やはりKはペンを動かしていた。折々金ペンの光りが鋭く閃めいた。ペンに力が入って紙の目に引懸った時だ。ペンの動く速力は非常に早かった。殆んど息を吐く間も、インキを浸す間もなかった。
 Bは腫れた顔に不安の色を漂わして頭を傾げた。朝の湿った空気の底に灰色の建物は沈んでいて静かだ。Bの眼には蜂の針のように尖ったペンが紙の上を動いて行くのがありありと見えた。動いた痕には青い液で何やら不安なものを書き付けて……見る間に三行四行と走って行く。
 Bは大きな頭を振って、歩いて見たが、もはやこの身体が自分のものでないように運ぶのが大儀であった。
 朝飯のベルが、冷たい空気に染み渡った。
 Bは、こっちの隅に自分の体を隠すようにして、戸を押して入って来る人を眺めていた。いずれも生気のない顔をして、顫えながら黙って席に着いた。やがて白い湯気の上る椀が各自の前に配られた。Bは僅かに少しばかり食べたばかりで、やはり落着きのない眼を戸口の方に注いでいた。
 後れて一人、また一人入って来たが、もうその後には誰も来なか…

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