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捕われ人
とらわれびと
作品ID53157
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」 ちくま文庫、筑摩書房
2008(平成20)年8月10日
初出「文章世界」1908(明治41)年11月号
入力者門田裕志
校正者坂本真一
公開 / 更新2020-12-06 / 2020-11-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 山奥である。右にも左にも山が聳えている。谷底に三人の異様な風をした男が一人の男を連て来て、両手を縛って、荒莚の上に坐らせて殺そうとしている。三人の悪者の眼球は光っていた。莚の上に坐らせられた男は汚れた破れた着物を着て顔には髭が延びて頭髪の長い痩せた男だ。悪者は強盗であって、捕われた男は何んでも猟師か何かであるらしい。山奥で吹く渓風が身に浸みる。
 季節は秋だ。岩間には木の葉が血を滴らした様に紅葉していた。薄暗い谷間を白い渓川が流れている。見上げると四面の高い山の巓が赤く禿げて、日暮方の秋の日が当っているが、もう谷底は日蔭となって湿ぽい気が満ち満ちていた。恐らく一日中この谷底には、日の光が落ちぬのであろう。
 眼の光る三人の悪者は、殺す用意に取りかかった。捕れた男の顔は、土色と変って眤と眸を据えて下を向いている――此所には文明の手が届いていない。警察の権利が及んでいない。全く暗黒の山奥で、人の知らぬ秘密が演ぜられる。いわば別天地である。悪者の一人は褐色のシャツを着ていた。他の二人は黒い洋服のようなものを身に纏っている。各自ともチャカチャカと光る鋭利な鉈を腰に挟んでいた。――捕われた猟師? は手に無一物で、しかも両手は後方に廻されている。けれど捕えられた間際には余程抵抗したものと見えて、地上に折れたままの鉄砲が投げ捨てられてあった。二人の悪者は、黒い桶のようなものを二つばかり持ち運んで来た。何に使用するのか……多分血を容れるのと、斬ったら落ちる生首とを入れるのであろう。傍には大きな箱がある。この中に死骸を容れるのだ。
 悪者は金を取るのが目的でないらしい。さらば何のためにか?
 きっと生胆を引抜き、骨を砕いて……血潮で何か造るのだ。――人間の生血と生胆と白骨で丸薬か何か造るのだ。彼方に大きく土を盛って火を焚く処が出来ている。一人は其処へ行って火を焚き始めた。青い烟が上った。また彼方に黒い家根の頂が見えている。何か小屋があるらしい。此処の小屋は山漆を掻いて黒土と砂利で固めたのだ。
 彼方の谷に赤々と、山漆の木が繁っていた。火を焚ている青い烟は微かに棚曳いて深山の谷に沈んでいる。一人の悪者は、捕われた男の前に立って両腕を組んでいる。この間互に一言も言い交わさなかった。火を焚いている一人は頻りと枯れた小枝や青い松葉を折って来て大きな土竈の下を燃している。褐色のシャツを着た悪者は、小屋の方へ行ったがやがて襤褸片で刃をぐるぐると巻き附けた大きな鉞を持ち出して来た。黒い襤褸には何だか腥い血の染みが附着しているようだ。――幾人この山奥でこの鉞にかかって命を落した人があるか知れない。そういえば捕われ人の前に置れた桶の赤黒いのも人の血潮で染った色に相違ないと思った。今迄下を向いて、眤と一所を見詰ていた捕れた男は真青に血の気の失せた顔を上げて、ドシンと大地に下した鉞の方を見遣った…

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