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森の暗き夜
もりのくらきよる
作品ID53163
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」 ちくま文庫、筑摩書房
2008(平成20)年8月10日
初出「新潮」1910(明治43)年8月号
入力者門田裕志
校正者坂本真一
公開 / 更新2021-04-07 / 2021-03-27
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 女はひとり室の中に坐って、仕事をしていた。赤い爛れた眼のようなランプが、切れそうな細い針金に吊下っている。家の周囲には森林がある。夜は、次第にこの一つ家を襲って来た。
 森には、黒い鳥が棲んでいる。よく枯れた木の枝などに止まっているのを見た。また白い毛の小さな獣物が、藪に走って行くのを見た。枯木というのは、幾年か前に雷が落ちて、枯れた木である。頭が二つの股に裂けて、全く木の皮が剥げ落ちて、日光に白く光っていた。この枯木の周囲には、青い、青い、木立が深く立ち込めていた。しかし、この一本の木が枯れたため、森に一つの断れ目が出来て、そこから、青い空を覗うことが出来る。
 女が、白い獣物を見たのは、円い形をした藪から、飛び出て、次の藪へ移るところであった。そこへ立ち寄ると、平地に倒れた草が、刎ね返り、起きあがる所であった。鮮かな、眩しい朝日が、藪の青葉の上にも、平地にも、緑色の草の上にも流れている。
 森から出た日は、また森の中に落ちて行く。ちょうど、重い鉄の丸が、赤く焼け切っているように奈落へと沈んで行く。壁一重隔てた、森が沈黙している。怖しい、暗い夜の翼が、すべての色彩を腐らし、滅して、翼たゆく垂れ下がって、森の頂きと接吻したらしい。
 女は、やはり下を向いて仕事をしていた。

「今晩は!」……女は、手を止めて頭を上げた。三面は壁である。東の方だけ破れた障子が閉っている。ちょうど、鑿で、地肌を剥り取ったように夜の色が露出していた。
 女は、また下を向いて仕事に取りかかった。赤い爛れた目のようなランプが、油を吸い上げるので、ジ、ジー、ジ、ジー呻り出した。



 片隅の埃に塗れた棚の上に、白い色の土器が乗っていた。いつそこに置かれたのか分らない。土器は、沈黙して、「時」の流れから外に置かれたことを語っていた。気の抜けたような白色が、前の世の、人間が用いていた匂いがする。
 女の、頭髪が、赤茶けて見える、女は、東の方の破れた障子に向いて仕事をしている。

「今晩は。」……と力ない、頼むような声がした。
 女は、前の仕事を押しのけて、熱心に耳を傾けた。壁の方を見て茫然とした。壁の一面は黄いろく、二面は灰色に塗ってあった。
 女は、立って破れた障子を開けた。黒い幕を張り詰めて、金紙の花を附けたように、数えるほどの星が出ている。暗い森には風すらなかった。
「今晩は、私を泊めて下さい。」
 と、一人の男が、女の前に立った。
 赤い爛れた眼のような火影が、女の薄紫色の厚い唇と、男の毛虫のような太い眉毛の上に泳ぎ付いた。
 女は、また東を向いて仕事をしていた。三方の黄と灰色の壁が、見慣れぬ男が入ったので、茫然とした視力を見張った。ランプは、一層声を高く、ジ、ジーといって油の尽きるのを急ぐようだ。そうなれば、夜が明ける。今まで、変りのなかった家に、今夜、始めて変りのない…

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