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海阪
うなさか |
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作品ID | 53187 |
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著者 | 北原 白秋 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「白秋全集 9」 岩波書店 1986(昭和61)年2月5日 |
入力者 | 岡村和彦 |
校正者 | フクポー |
公開 / 更新 | 2017-11-02 / 2017-10-25 |
長さの目安 | 約 80 ページ(500字/頁で計算) |
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[#ページの左右中央]
道のべの春
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半島の早春
三浦三崎
大正十二年二月一日午後、何処といふあてもなくアルスの牧野君と小田原駅から汽車に乗つた。その車室に前田夕暮君が居た。何処へ行くと訊かれたのでまだわからぬと答へた。君はと云つたら大島へ行くつもりだつたけれど汽船に乗り遅れたので引返すところだと云つた。ぢやあ一緒に何処かへ行かう、それもおもしろいと云ふ事になつた。で結局三崎行ときめて、横須賀へ出た。出て見るとその駅の前にはもう薄ら寒い日の暮の風が吹きしきつてゐた。
ぼろ自動車の上
日の暮のぼろ自動車にすくみゐつ赤き浮標見居り乗合を待ちて
風空に造船場の高く赤き鉄柱が焼け暮ならんとす
日暮れぬ路いつぱいに埋まり来る職工の群にひたと真向ふ
前まへと堰き溢れ来る人の顔どれもどれも青し押しわけてゆけば
雪のこる片山蔭の板びさし今は見て安し灯が点くも
外見ると幌ひきはづす手のつめたさ遥かの不二は吹雪雲の影
雪ふるは天城かと見る次の眼に夕焼の赤きまばら松見ゆ
山峡を遥に小さき人の影寒むざむと追ふ斑雪ぬかるみ
山間に愛し小さしと見し人が[#挿絵]際に避くるこれの猿面
遥かの山ぎざぎざに白し半島の上をわが自動車はまつしぐらなる
良夜行
あまりに月が良いので自動車を下りる。三崎の一里てまへ、引橋の茶屋の少し先き、そこらが半島の最も高い道である。
この空の澄みの寒さや満月の辺に立ち騰る黄金の火の立
満月の辺に立ち騰る炎の粉宵空の澄みに澄み消なむとす
山は暮れぬましぐらに駛る自動車の真正面の空の宵の満月
月明き半島の夜を歩まむとし汐ふかき風をまづ吸ひにけり
とりどりに歩む姿ぞおもしろき松の並木のきさらぎの寒を
青く真澄む幻燈の空に枝さしかはす山松が景も早や二月なる
月の坂に我ら追ひ越す自動車の埃の立ちの秀の青さはも
太鼓うつ音のきこゆる月の森そこかここかと聴けば遠しも
おのづから岡の歩みは太鼓うつ月照る磯に近づきにけり
北条入江
この廓は燈火紅し草臥れて雪どけの道を行けばひもじき
宵はまだ月の入江の枯葦の影くきやかに汐あかり満つ
枯葦や入江の潟にのる汐の上づら寒し月はかがよふ
月と太鼓
私の雲母集中の異人館はその後海嘯で流されたとかで、もはや跡方もなくなつてゐた。
今は無き我家の跡に櫓かけて磯の良夜を子ら太鼓うつ
月がたたく太鼓ならしとおもひきや我家の跡の子らが興なる
春あさき囃子求め来て月の磯の我家の跡の汐あかり見つ
来て見ればいよいよ近き月明り通り矢も見ゆ城ヶ島も見ゆ
照り曇る月の夜ながら小童がたたく太鼓の冴えの愛しさ
童らがたたく太鼓は月の夜とこだましにけり島の森より
何がなし心安きはたぷたぷと石垣をうつ満ち汐の音
臨江閣
元の私の家の隣である。当時親しくしてゐたその家…