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真夏の日本海
まなつのにほんかい
作品ID53212
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆56 海」 作品社
1987(昭和62)年6月25日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-01-30 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 此の十年余り、海といへば太平洋岸の海しか見てゐないのであるが、時々子供の頃毎年親しんだ日本海の夏の海を思ひ返して見ると、非常に美しかつたといふ思ひ出が浮んで来る。
 日本海の沿岸には一般に砂丘がよく発達してゐる。浪打ち際から真白な砂が数丁も続いて小高い丘になり、その丘を越えたあたりから松林になつてゐるのが普通である。そしてその松林を抜けた所に初めて漁村が見えることが多い。それといふのは、冬の日を海が一つ荒れて来ると、数丁も続いた砂丘の上まで浪が押し寄せて来るので、とても海辺の近くに家などを構へてゐることは出来ないのである。
 渚に沿つてたどつて見ると、そのやうな真白な砂丘が暫く続いて軈て小さい岬につくことが多い。その岬は大抵の場合は軟質の岩からなつてゐて、冬の荒浪に段々根本を洗ひ去られて、恐ろしい断崖になつてゐる。そしてさういふ岬が半里毎位に突き出てゐる所では、その間が小さい入江になつて、真白な砂浜が弓なりに静かな青い夏の海をふちどつてゐるのに屡々出会ふのである。岬の端には大抵きまつたやうに、盆栽風な枝振りの松が孤立して立つてゐて、あとは黒く続いた松林になつてゐる。
 中学の頃夏休みになると、よくかういふ入江に近い漁村の一間を借りて、数人の友達と日本海の夏を送つたものである。此の頃のやうに入学試験の準備などに追はれる心配もなく、毎日のやうに朝飯をすますと、もう真ぐに魚刺と水眼鏡とを持つて海へ出かけて行くことに決つてゐた。松林を過ぎると、真白な砂浜が朝の強い日光を受けて目ばゆい許りに映えてゐて、その向ふに、海が文字通りに紺碧に輝いて見えるのである。夏の日本海の朝の色位美しい海の色は其の後見たことがない。油絵具のウルトラマリンを生のままで力強く塗つたやうな濃い色彩である。もつとも色の濃さからいへば、印度洋の航海の間には随分濃い海の色も見た筈であるが、真白な砂丘の向ふに見える真夏の日本海の色のやうな印象は残つてゐない。
 もつとも午後になると、此の色はすつかりあせて了ふのであつて、今から考へて見るも、どうもあの夏の日本海の朝の色を支配する一番大切な要素は、太陽の位置ではないかといふ気がする。もつとも海の色をきめる要素は沢山あつて、海水の中に含まれてゐる微粒の塵やうのものに支配されることが多いのであるが、朝凪のあとまだ海が比較的澄んでゐる時に、丁度太陽を背にして眺められるといふことが、朝の日本海の色を益々鮮かにするのであらう。
 間借りをしてゐる漁師の家から三丁位行くと小さい岬がある。そのあたりは一面の岩海で、岬の突端からほんの少し離れて小さい岩の島がある。その島の周りが吾々の漁場であつて、章魚とかさごと栄螺とが主な穫物であつた。毎日のやうに漁師の子供たちが大勢で追つ馳け廻してゐるにも拘らず、魚たちもそのあたりが好きと見えて、穫物はいつまでも尽きなかつた。海水浴に…

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