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指導者としての寺田先生
しどうしゃとしてのてらだせんせい
作品ID53224
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
初出「思想」1936(昭和11)年3月1日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-20 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 先生の臨終の席に御別れして、激しい心の動揺に圧されながらも、私はやむをえぬ事情のために、その晩の夜行で帰家の途に就いた。同じ汽車で小宮さんも仙台へ帰られたので、途中色々先生の追想を御伺いする機会を与えられた。三十年の心の友を失われた小宮さんは、ひどく力を落された御様子でボツリボツリと思い出を語られた。常磐線の暗い車窓を眺めながら、静かに語り出される御話を伺っている中に、段々切迫した気持がほぐれて来て、今にも涙が零れそうになって困った。小宮さんが先生の危篤の報に急いで上京される途次、仙台のK教授に御会いになったら、その由を聞かれて大変愕かれて、「本当に惜しい人だ、専門の学界でも勿論大損失だろうが、特に若い連中が張合いを失って力を落すことだろう」といわれたという話が出た。その話を聞いたら急に心の張りが失せて、今まで我慢していた涙が出て来て仕様がなかった。
 先生の直接の指導を受けた門下生は誰でも皆、先生の死に遭ってすっかり張合いを失って、何をする元気もなくなってしまったように見える。この事が指導者としての寺田先生の全貌を現わしているのではないかと自分には思われる。どの学問でもそうであろうが、特に物理学の方面では、本当の意味の指導ということは非常に困難な事であって、先生の予期されるように弟子たちはなかなか進歩しない。或る時先生はS教授に、「君、若い連中を教育するには、無限に気を長く持たなければいかんよ」といわれた由を、同教授から聞かされたことがある。
 先生を失って弟子たちは何をする張合いもなくなる、そのような意味での指導が出来たのは、勿論先生の比類なき頭脳の力によるものであるが、今一つ先生の心の温かみというものが非常に重大な役割をしていると切に思われるのである。『冬彦集』の鼠と猫の中に、誰にも嫌われた或る猫の下性を直すために、土を入れた菓子折を作って、「何遍となく其処へ連れて行っては土の香を嗅がして」やられる先生の姿が書かれている。これを読んだ時に、現代の東京の生活の中で、しかも忙しかった先生の御仕事を思うと、比喩などという意味を全く離れて、先生の暖いそして静かな心が実感をもって身に沁みたのであった。指導者としての先生の温情の一つの現われは、常に弟子たちのためということを第一に考えられて、御自身の仕事の都合は何時でも第二の問題とされていたことである。先生のレーリー卿の伝記の中に、卿がゼー・ゼー・トムソンを指導したやり方について、「自分の都合だけ考える大御所的大家ではなかった」と書かれているのは、私共には全く先生の姿のように見えるのである。
 若い仲間の集りにありがちなこととして、時には情熱的な興奮をもって誰かの行為に対して批難がましい話をするようなこともあった。そのような話が先生の耳に入ると、よく先生は、「相手の人の身にもなって考えなくちゃ」といわれたものであ…

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