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硝子を破る者
ガラスをやぶるもの
作品ID53229
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
初出「朝日評論」1946(昭和21)年8月1日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-02 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 汽車はあいかわらず満員である。
 吹雪で遅れ遅れするので、駅には前からの乗客が溜って益々混雑をひどくするらしい。
 やっと窓際の席がとれて、珍しいことと喜んだのも束の間、硝子が破れているので、雪を雑えた零下十度の風が遠慮なく吹き込んで来る。とてもたまったものではない。前に坐っている五十余りの闇商人らしい男が、風呂敷を窓にあてがっているが、どうも巧くとまらない。
 何度もやって見てとうとう諦めたらしく、外套の襟を立て襟巻をぐるぐる首に巻いて、身体を丸くして縮まり込んでしまった。風呂敷がばたばたと風にあおられて、五月蠅いばかりでなく、余計に寒いような気がする。
 私の方も同様にちぢこまっている。ふと眼が会ったら、その男が半分は一人言のように、半分は私に話しかけるような調子で「戦争に敗けりゃあこんなもんだ。仕方がないや」とつぶやいた。私はちょっと可笑しくなって「だって君、これは何もアメリカの兵隊が割ったんじゃないんだよ。硝子を割ったのは皆日本人なんだろう」と言うと、その男も「そう言えばそうだね」と苦笑した。
 日本人が汽車の窓硝子を破るようになったのは、窮乏のために平常心を失ったからであり、窮乏は敗戦に原因する。そういう意味では、戦争に敗けたから雪の吹き込む汽車で寒い思いをしなければならないと言うのは本当である。しかし「戦争に敗けたんだから」という言葉を、今日のように皆が無考えに使っていると、とんでもない錯覚に陥る虞れがある。もう既に陥ってしまっている連中も沢山あるらしい。
 終戦直後、技術院があっさり解散してしまったので、私たちのニセコ山頂の観測所は、親なしになってしまった。施設は適当に処分するようにとの通報を受けたが、そう簡単に解体してしまうわけにも行かない。私たちにしてみれば、過去五カ年にわたって、随分苦しい目にも会って、やっと築き上げたものである。
 取る物もとりあえず、樺太からの引揚民の中に雑って、地獄絵のような場面を見続けながら、三日がかりで東京へ出た。そして十日ばかりかかって、雪中飛行の研究所を農業物理の研究所として更生させるというちょっと聞くと妙な話をとりきめて、安心して帰って来た。雪中飛行と農業物理というと、まるで縁がないようであるが、もともと雪中飛行の研究と言っても、科学的には雪の本質の研究であって、寒地農業の物理的研究に雪の本質の研究が役に立たぬはずはないのである。その点自然を直接対象とする科学の研究はありがたいものである。ところが、この上京の留守中に大変なことが起ってしまった。それは山頂の観測所がすっかり泥棒に荒されてしまったのである。
 孤立した山頂の天辺にある観測所で、人家からは、どの道を採っても二里近くはある。そういう隔絶した地点にある建物のこととて、泥棒にはいる気になれば、極めて容易である。終戦と同時に、入口の戸は五寸釘で打付け、…

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