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簪を挿した蛇
かんざしをさしたへび
作品ID53230
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
初出「文藝春秋」1946(昭和21)年12月1日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-02-08 / 2014-09-16
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 石川県の西のはずれ、福井県との境近くに大聖寺という町がある。其処に錦城という小学校があって、その学校で私は六年間の小学校生活を卒えた。たしか尋常六年の時に、明治天皇が崩御されたように記憶しているので、私の小学校時代は、明治の末期に当るわけである。
 この町は、子爵の方の前田家の旧城下町であって、その頃の小学校は旧藩主のもとの屋敷をそのまま使ったものであった。それで学校といっても、現在普通に見られるような半洋風の建物ではなかった。もっとも一部は建て増されたもので、二階建の普通の小学校の形になっていたが、雨天体操場の方などは、昔の建物をそのまま使っていたので、今から考えてみれば、随分古風な学校であった。在学中にこの雨天体操場の方も改築されたように憶えているが、印象に残っているのは、妙に改築前の旧い体操場の方である。
 雨天体操場といっても、旧藩主の大きい邸宅の襖をとりはずしただけのものであったから、中には柱が一杯立っていた。大広間と次の間に当るところが、この体操場の中心部で、その両側に広い廊下があったらしい。柱がずっと一列に立っていた。奥の半分は、小さい部屋が沢山あったところを、壁と襖をはずしてそのまま使ったらしく、その部分には沢山の細い柱がそれこそ林立していた。
 この雨天体操場は、式や会の時には講堂となり、休み時間には児童の遊び場であった。実際は雨天体操場などという新しい名前はなくて、私たちは溜りと呼んでいた。十分の休み時間には、この溜り一杯胡麻を散らしたように、児童たちが真黒く群って走り廻っていた。その中には四十年前の自分もいたわけである。柱が沢山あるので、陣取りには誂え向きであった。五組も十組もの陣取りが、それぞれ好みの柱の群を占領して、縦横に馳け廻るので、呼び声叫び声が、薄暗いこの体操場に一杯に満ちあふれていた。
 薄暗いといえば、この体操場の奥の半分、柱が林立していたところは、昼でも本など読めないくらい暗かった。その中心部に、何のあとかは考えたこともなかったが、三尺四方の四隅に、四本の柱が立っているところがあった。林立する柱の中で、この四本の柱だけが何となく目に立った。其処は「四本柱」という名前がついていた。何か気味の悪いところで、子供たちの間には、一種の魔所に考えられていたようであった。何年の時か忘れたが、この「四本柱」の床の下には、女の髪の毛が埋められているという風説が流布され、私たちは真面目にそれを信じていた。
 明治の末期といっても、北陸の片田舎までは、まだ文明開化の浪は押し寄せて来ていなかった。たしか六年生の頃に、初めて電燈がついたくらいで、徳川時代からずっとおどんでいた空気は、まだこの小さい旧い城下町の上を低く蔽っていた。旧藩主は町の一部に、別の御屋敷をもって、一年の半ばは其処に住んでおられた。そして人々はお正月には「殿様のところへ伺候…

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