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観相の秋
かんそうのあき |
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作品ID | 53242 |
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著者 | 北原 白秋 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「白秋全集 8」 岩波書店 1985(昭和60)年7月5日 |
初出 | ある人の庭「表現 2巻1号」1922(大正11)年1月1日<br>紅葉を焚いて「潮音 5巻1号」1919(大正8)年1月1日<br>山中消息「詩篇 3編1輯」1919(大正8)年1月1日<br>秋山の歌「大観 5巻2号」実業之日本社、1922(大正11)年2月1日<br>孟宗と月「大観 5巻2号」実業之日本社、1922(大正11)年2月1日<br>冬の山そば「大観 5巻2号」実業之日本社、1922(大正11)年2月1日<br>竹林の早春「大観 5巻2号」実業之日本社、1922(大正11)年2月1日<br>立枯並木の歌「大観 4巻7号」実業之日本社、1921(大正10)年7月1日<br>潮来の入江「大観 4巻7号」実業之日本社、1921(大正10)年7月1日<br>夜の雪「三田文学 8巻3号」1917(大正6)年3月1日<br>鳥の啼くこゑ「三田文学 8巻3号」1917(大正6)年3月1日<br>アツシジの聖の歌「大観 4巻7号」実業之日本社、1921(大正10)年7月1日<br>米の白玉「大観 4巻7号」実業之日本社、1921(大正10)年7月1日<br>犬と鴉「大観 4巻7号」実業之日本社、1921(大正10)年7月1日<br>童と母「潮音 3巻6号」1917(大正6)年6月1日<br>ほのかなるもの「ARS 1巻2号」1915(大正4)年5月1日 |
入力者 | 岡村和彦 |
校正者 | フクポー |
公開 / 更新 | 2017-09-19 / 2017-08-25 |
長さの目安 | 約 40 ページ(500字/頁で計算) |
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序
虚と実とは裏と表である。実にして虚、虚にして実なるが故に尊い。何れは先づ実相のまことを観、観て、深く到り得て、更に高く離れむ事をわたくしは願つてゐる。
実相に新旧のけぢめは無い。常に正しく新らしいからである。これを旧しとなすは観て馴れ過ぎたからである。一時の流行は時とともに滅びる。而も人はただ新奇を奔り求める事に於てのみ、その詩境を進め得るものと思つてゐる。然し何ぞ知らむ。此の東に於てひたすら彼の西の旧を趁うて新らしと成す秋に、却て西に於ては此の東方に道を求める事が常に新風発生の素因を成してゐる。かうなると何が新らしいかと思はせられる。
再び云ふ。実相のまことこそ常に正しく新らしいものである。いつ観てもまことなる事に於て渝りは無い。芭蕉の説いた不易はこの永生の流に通ずるまことの詩の精神である。詩の正風はさうした精神に根柢を置く。この精神は殊に我が東洋芸術の真髄と成すところのものである。
此の集の詩もおそらくは今人の眼に旧しとせられるであらう。それでわたくしはいいのである。詩境の高さは観相そのものの高さに由る。気品は巧みて得らるるもので無い。その人のおのづからなる円光である。だからわたくしは所謂新奇に浮かれて飽かざる事よりも詩のまことの大道をただ一筋に修めて行けばいいのである。
此の集には詩文(私は散文詩なる飜訳語を好まない。)と長歌体の詩篇とを収めた。詩文には口語脈と雅文脈との二種がある。何れも純粋の意味に於ける詩として書き下ろしたので無い。私にとつてはこれらは矢張り詩文であると遜る方がほんたうである。一方にまた長歌体を選んだのはさう成る可き内容だつたからである。長歌は万葉に由来するが、わたくしのものは万葉のそれとも違ふ。わたくしの詩の内容にその形式を採つたのである。此の形式のすぐれたところはかの絃楽の如く絶えんとして続き、続きつつ縹緲としてまた絶えんとする一流れのリズムの起き伏しにある。ことさらに行を別けず其まま書き下したのもその故である。兎角、日本のものはかういふ風にしぜんに書き下すのがほんたうのやうである。
わたくしはまた、この頃流行の自由詩の殆ど多くを真の詩とも自由詩とも思つてゐない。どう考へても行を別けただけの散文で、すぐれた或る種の文章よりももつと弛緩したリズムの、而も粗雑な思想の概念をただ放恣に非音楽的に述べたに過ぎぬと思つてゐる。
詩は詩である。詩に重んず可きはその高い精神である、韻律である、香気である、気韻である。
大正十一年六月
小田原にて
白秋識
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[#ページの左右中央]
その一
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簡素な庭
古風の庭 大正十年秋、上州富岡某氏別荘にて
紅葉を焚いて 同七年秋、名古屋月見坂にて
山中消息 同七年冬、小田原伝肇寺にて
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ある人の庭
寂しい庭だ、…