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日本的童話の提唱
にほんてきどうわのていしょう |
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作品ID | 53448 |
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著者 | 小川 未明 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「定本小川未明童話全集 12」 講談社 1977(昭和52)年10月10日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 酒井裕二 |
公開 / 更新 | 2017-05-11 / 2017-04-19 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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一
いま日本は、一面に戦い、一面に東亜建設の大業に着手しつつある。これは実に史上空前の非常時であるといわなければならぬ。それであるから、老若男女の別を問わず、各[#挿絵]分に応じて奉公の誠をいたしつつある。
すなわち国民こぞって、この大業に参加しつつある訳で、農村に、都会に、涙ぐましい彼等の努力を認めることが出来る。
われら国民が、非常時に処する誠心誠意はかくの如くであるが、なおもっとはっきりと、その行くべきところを明らかにし、指導するものは、何といっても今日の政治でなければならぬ。
政治及び経済のはっきりとした姿こそ、やがて、それが教育や芸術の上にも反映することによって、進むべきところを定めるのであろう。
されば、政治の目的、理想の確立なきところには、未だ真の児童教化運動も起こり得ない筈である。この故に、一日も早く国民としては、政治の革新性と、実行力に信頼したいのである。
たとえば、新しい日本が、自由主義を揚棄しても、独伊の全体主義と軌を一つにするものではない。そして肇国の精神に立ちかえって、皇道の何たるかを深く体得して、その実現を期するものと思われる。世界無二の有難い国体と精神は、自らにして人類を救済するに足りる。
われら国民は、この精神の誤らざる発揚を期すべきであって、所詮、政治、経済、教育、文芸もこの道徳的基礎の上に、立脚しなければならぬものである。
日本の特異性はかくの如きものであれば、日本の子供はまた、特異なる日本の子供でなくてはならぬ。従来主に英米の教育方針によりて、教導せられたるところの日本の子供には、そこに英米その他諸国の子供と習性の上において大差は見出されなかった。しかし日本の子供は、飽くまで日本的性格を有した子供でなければならぬ。
道義日本の子供は、物質力よりも精神力によって指導されなければならぬし、また本性をそこに置いている。
一例をとってみれば、子供が何かいい事をしたからといって、子供に褒美をやるということ、特にお金をやるというようなことは、恐らく明治このかたの慣例であろう。
子供は物を貰ったよりも、親や先生から褒められることに対して、より以上の悦びを持ったものだし、また持つべきものであると思う。
しかし、この頃はただ言葉で褒められたり、頭を撫でた位では、有難く思わなくなって、多くの子供が、何か貰わねば満足しないようになった。自分の行いに対して、物質的報酬を受けるという習慣は、功利主義の欠陥である。
二
日本の子供は、今日多く見らるるごとく物質的でなかった。そうして精神的であった。
学校の先生は嘘をいわぬものと信じていた。それであるから、先生から褒められれば非常にうれしく思った。
また母親が、自分のした事に対して、褒めてくれる時には、甘やかして褒めるのか、それとも心から褒めてくれるのか、母親の顔を…