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白骨温泉
しらほねおんせん |
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作品ID | 53450 |
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著者 | 若山 牧水 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「みなかみ紀行」 中公文庫、中央公論社 1993(平成5)年5月10日 |
入力者 | 浦山敦子 |
校正者 | 栗田美恵子 |
公開 / 更新 | 2024-09-17 / 2024-09-09 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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嶮しい崖下の渓間に、宿屋が四軒、蕎麦屋が二軒、煎餅や絵葉書などを売る小店が一軒、都合唯だ七軒の家が一握りの狭い処に建って、そして郵便局所在地から八里の登りでその配達は往復二日がかり、乗鞍岳の北麓に当り、海抜四五千尺(?)春五月から秋十一月までが開業期間でその他の五個月は犬一疋残る事なく、それより三里下の村里に降って、あとはただ全く雪に埋れてしまう、と云えば大抵信州白骨温泉の概念は得られる事と思う。そして胃腸に利く事は恐らく日本一であろうという評判になっている。
松本市から島々村まではたしか四里か五里、この間はいろいろな乗物がある。この島々に郵便局があるのである。其処から稲※[#「てへん+亥」、U+39E1、128-10]村まで二里、此処に無集配の郵便局があって、附近の物産の集散地になって居る。それより梓川に沿うて六里、殆んど人家とてもない様な山道を片登りに登ってゆくのだ。この間の乗物といえば先ず馬であるが、それも私の行った時には道がいたんで途絶していた。ただ旧道をとるとすると白骨より三里ほど手前に大野川という古びた宿場があって、其処を迂回する事になり、辛うじて馬の通わぬ事もないという話であった。温泉はすべてこの大野川の人たちが登って経営しているのだ。女中も何もみな大野川の者である。雪が来る様になると、夜具も家具も其儘にしておいて、七軒家の者が残らずこの大野川へ降りて来るのだ。客を泊めるのは大抵十月一杯で、あとは多く宿屋の者のみ残り、いよいよ雪が深くなってどんな泥棒も往来出来なくなるのを見ると、大きな家をがら空きにしたまますべて大野川に帰って来るのだそうだ。稀な大雪が来ると、大野川全体の百何十人が総出となって七軒の屋根の雪を落しに行く、そうしないと家がつぶれるのだそうだ。
信州は養蚕の国である。春蚕夏蚕秋蚕と飼いあげるとその骨休めにこの山の上の温泉に登って来る。多い時は四軒の宿屋、と云っても大きいのは二軒だけだが、この中へ八百人から千人の客を泊めるのだそうだ。大きいと云っても知れたもので、勿論一人若くは一組で一室を取るなどという事はなく所謂追い込みの制度で出来るだけの数を一つの部屋の中へ詰め込もうとするのである。たたみ一畳ひと一人の割が贅沢となる場合もあるそうだ。彼等の入浴期間は先ず一週間、永くて二週間である。それだけ入って行けば一年中無病息災で働き得るという信念で年々登って来るらしい。それは九月の中頃から十月の初旬までで、それがすぎて稲の刈り入れとなると、めっきり彼等の数は減ってしまう。
私の其処に行っていたのは昨年の九月二十日から十月十五日までであった。矢張り年来の胃腸の痛みを除くために、その国の友人から勧められ遥々と信州入りをして登って行ったのであった。松本まで行って、其処でたたみ一畳ひと一人の話を聞くと、折柄季節にも当っていたので、とてももう登…