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窓の下を通った男
まどのしたをとおったおとこ |
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作品ID | 53478 |
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著者 | 小川 未明 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「定本小川未明童話全集 5」 講談社 1977(昭和52)年3月10日 |
初出 | 「赤い鳥」1926(大正15)年7月 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | へくしん |
公開 / 更新 | 2020-10-23 / 2020-09-28 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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一
毎日のように、村の方から、町へ出ていく乞食がありました。女房もなければ、また子供もない、まったくひとりぽっちの、人間のように思われたのであります。
その男は、もういいかげんに年をとっていましたから、働こうとしても働けず、どうにもすることができなかった、果てのことと思われました。
町へいけば、そこにはたくさんの人間が住んでいるから、中には、自分の身の上に同情を寄せてくれる人もあろうと思って、男は、こうして、毎日のように、田舎道を歩いてやってきたのです。
しかし、だれも、その男が思っているように、歩いているのをとどまって、男の身の上話を聞いて、同情を寄せてくれるような人はありませんでした。なぜなら、みんなは自分たちのこと考えているので、頭の中がいっぱいだからでした。まれには、その男のようすを見て、気の毒に思って財布からお金を出して、ほんの志ばかりでもやっていく人がないことはなかったけれど、それすら、日によっては、まったくないこともありました。男は、空腹を抱えながら、町の中をさまよわなければなりませんでした。
美しい品物を、いっぱい並べた店の前や、おいしそうな匂いのする料理店の前を通ったときに、男は、どんなに世の中を味けなく感じたでしょう。彼はしかたなく、疲れた足を引きずって、田舎道を歩いて、さびしい、自分の小屋のある、村の方へ帰っていくのでした。
ここにその途中のところで、道ばたに一軒の家がありました。そう大きな家ではなかったが、さっぱりとして、多分役人かなにかの住んでいる家のように思われました。この道をいく人々は、ちょうど、その窓の下を通るようになっていたのであります。
ある日のこと、男は、その窓の下に立って、上を仰ぎながら、あわれみを乞うたのでありました。どうせ、家の内からは返答がないだろうと思いました。なぜなら、町では、あのように、顔を見合わせて、手を合わせて頼んでも、知らぬふうをしていき、また振り向こうともしないものを、窓の下から、しかも外の往来の上で頼んでも、なんの役にも立つものでないと考えられたからです。
「どうぞ、哀れなものですが、おねがいいたします。」と、男は、重ねていった。
ひっそりとして、人のいるけはいもしなかったのが、このとき、ふいに窓の障子が開きました。顔を出したのは、眼鏡をかけた色の白い、髪のちぢれた女の人でした。その人は、たいへんやさしそうな人に見えました。
男は、頭を下げて、
「どうか、なにかおめぐみください。」と願いました。
その女の人は、男が思ったように、ほんとうにやさしい、いい人でありました。じっと、男の顔を見ていましたが、
「そういうように、おなりなさるまでには、いろいろなことがおありでしたでしょうね。」といいました。
男は、はじめて、他人からそういうように、やさしい言葉で問いかけられたのでした。
…