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![]() ツーンこのほとり |
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作品ID | 53492 |
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著者 | 中谷 宇吉郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆67 宿」 作品社 1988(昭和63)年5月25日 |
初出 | 「図書 第三年第三十二号」1938(昭和13)年8月5日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 川山隆 |
公開 / 更新 | 2013-01-15 / 2016-07-11 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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もう十年も前のことであるが、倫敦に留学中私はユニバシティカレッヂのポーター老先生の所へ繁げ/\出入りしてゐるうちに、一緒に瑞西へ行かうとさそはれたことがあつた。そして二週間許り、ポーター先生や引退した英国の老法律家夫妻と、ツーン湖畔のオーベルホッフェンといふ小村で暮したことがあつた。
ツーン湖のほとり、瑞西の夏は美しかつた。ホテルは小高い丘陵の上にあつて、ツーン湖面を真下に見下し、その正面にニーセンの嶺が聳えてゐた。上から見下した瑞西の湖は青碧の水をたたへ、晴れた日には、雲の形が濃紫色に輝いて、湖面にうつるのであつた。湖畔のゆるやかな起伏の原は、鮮かな緑で蔽はれ、古城の白い塔が一つその中に立つてゐた。すべての色が鮮明で、周囲の風物は尽く私達が昔から持つてゐた「美しき欧羅巴」の姿であつた。
倫敦の生活に疲れてゐた私は、此処へ来て急に元気になつた。ホテルもよかつた。なだらかな斜面に建つてゐた三層楼といふ感じの此のホテルは、一階のバルコンから爪先下りの庭に続いてゐて、大きい噴水をめぐつて、色とり/″\の花が植ゑこんであつた。
天気は毎日のやうによかつた。朝食を済ませ、美味い瑞西の牛乳をのんで、蔓薔薇の軒下に出て腰を下してゐると、強い日光が葉越しに射して来て、敷き詰められた細い砂利の上にも、白い夏服の上にも、点々と輝いた光斑を作つてゐた。高い土地に特有な清々しい空気が始終肌をなでて、強い日光が少しも苦にはならなかつた。さういふ時にはよくポーター先生と、アメリカの何処とかの大学の Professor of Constitution of History といふ私には何のことかも分らない専門の学問をしてゐる先生と、それにリーヅの僧正とかいふ老人とが集つて、心霊学の話などをしてゐた。ポーター先生はオリバーロッヂの心霊学の話をして、年をとるとああいふ風になるものだと云つてゐた。さういふポーター先生ももうとつくに六十を越してゐて、真白な髪と髯との間に赤い童顔を覗かせてゐた。歴史の先生は、心霊学には必ず女が入つて来る、その点が面白いと云つてゐた。さういへば日本でも、千里眼にしても霊媒にしても、必ず女が入つて来てゐるやうだと、この人達の話を傍でおとなしく聞きながら考へて見た。外国人といへば、何処へ行くにも必ず夫人がついてゐて、所謂社交的な話許りしてゐるものかと思つてゐたが、かういふ先生方は皆一人で来てゐて、社交とか政治とかといふ問題とはひどくかけ離れた話をしてゐるのが珍しかつた。
此処のホテルは御馳走も随分よかつた。食堂では、老法律家モード氏夫妻がホテル第一の賓客で、真中から少し離れたテーブルに二人でついてゐた。そしてその横にポーター先生の小さいテーブルがあつた。ポーター先生は倫敦の学界では長老格で、永い間ユニバシティカレッヂの教授の地位を占めてゐて、丁度その年は英国学…