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われはうたえども やぶれかぶれ
われはうたえども やぶれかぶれ
作品ID53505
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「蜜のあわれ・われはうたえども やぶれかぶれ」 講談社文芸文庫、講談社
1993(平成5)年5月10日
初出「新潮」1962(昭和37)年2月
入力者日根敏晶
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-03-26 / 2019-02-22
長さの目安約 92 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 詩を書くのにも一々平常からメモをとっている。メモの紙切れをくりながらその何行かをあわせようとすると、それがばらばらになって粘りがなくなりどうしてもくっ附かない、てんで書く気が動かないで嘔気めいた厭気までがして来る。こんな筈がないと紙切れを読みなおしている間に、頭に少しもなみが打って来ないで只のふろしきを展げたように、ぼやぼやと、よりどころがない、やはりだめだ、机の上を片づけながら臥てしまう。この六十日くらいの間なにも書いていないで、只、うつらうつらと寝るにまかしていた。書くしょうばいをしている奴が書くことが出来なくなると、一行もはたらかなくなってしまう。病いの重さもそうだが、頭がかすかすになって水分も油気もなくなるのだ、例のふろしきのような奴が夜昼なしにふうわりと冠っていた。私はその下にいた。ああいう詩がつづり合せられなくなるということは余程のことだ、出来ている行と行とを合せてゆけばよいだけなのに、口から、はあはあと大息を吐いてまいってしまう。これは余程のことだ。
 日が暮れ夜も九時になることが怖い。遅鈍な尿意がもよおしてそのために一時間か一時間半ごとに、起きてはばかりに行かねばならなくなる。それも尿意の放出があればいいのだが、つんぼのように悲しい閉尿の待ちぶせに合うのだ。なんとしても出ないのだ、出てもわずかばかりのしずくしか出ないのである。それでもよろこびとしなければならぬ。他人を騙すように私はいまおしっこなぞしたくないのだと呟く、おしっこがしたい奴はべつに庭の中をうろついていて、犬のように昨日自分でしたところに跼んで、山に穴のあくほど咳をしているあいつのことをいうのだ。此処にいる私は出ても出なくともちっとも、かかわりのない処にいる人間なのだ。頭はれいろうとしているし尿の事には無関心なのである。私はまったくおしっこなぞしたくないんです。苦情は先刻此処に跨っていて、いまも庭をぶらついているあいつの言分なんです。その証拠には私はもう帰りかけているくらいです。さっぱりと快い気分になってあるだけの重い残尿を放出して、あなたの処からかるがると出てゆこうとしている。あなたの真白なお腹は私をうけつけてくれなくとも、それはどうでも宜い、どうでも宜いのだがちょっとだけさせてくれませんか、ちょっと些んのしずくでもそのお腹のうえに出させてくれませんか。私の全身は蒼ざめ此処で最早あなたに跨っていられないくらい、困憊しきってふらふらになっているのだ。ほんとうのことを言えばそうなのだ、どんな大切な物と交換してもよいから、ちょっとだけ普通の人間のように小便させてくれませんか。これは今夜のねがいなのだ、今夜のねがいは後ろに何十年もやって来た果の果のねがいなのだ。だが閉尿は固く遂に私の膝がしらも腰もしびれ、扉につかまりながら私はやむなく廊下に出て行く。
 寝所にはいるとまた起き上って足袋…

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