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名園の落水
めいえんのらくすい
作品ID53513
著者室生 犀星
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆33 水」 作品社
1985(昭和60)年7月25日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-01-24 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 曇つた十月の或る日。
 いつか見て置きたいと思つてゐた前田の家老であつた本多さんの庭を見に行つた。誰かに紹介をして貰ふつもりだつたが、それよりも直接にお庭拝見といふふうに名刺を通じた。五万石を禄してゐた本多家はいまは男爵である。幸ひ取次ぎが出て来て、大変荒れて居りますが御案内いたしませうと言つて先きに立つてくれた。
 門番の壁のところに玄徳槍が二本と樫の六尺棒が、埃まみれにむかしのままに立てかけてあつた。近ごろ経費を縮め手入れをしないので荒れてゐるからと取次ぎが言つた。奥庭へ廻ると雨つづきの、たつぷりした池の水が曇つた明るみをうかべ、不意にわたしどもが庭へ出たのに驚いたのか、灰いろをした大きな鳥が古い椎の木の茂みからふうはりと舞つて池の上をななめに淡淡しく掠めた。五位鷺だなと思つた。池の向うは松と椎と楓とで暗くじめじめと繁つてゐた。老俳友の南圃さんが何日か金沢の庭のなかできじの啼くのは、本多さんのお庭だけだ、一度見ておきたまへと言つたことを思ひ出した。そのきじの啼くだけをことさらにわたしにすいせんした南圃さんの心はすぐわたしに入りかねたが、このごろになつて古色蒼然の悠大を知つたわたしは南圃さんのその心もちを会得して、成程なあ南圃さんくらゐの年になれば古色蒼然の悠大をひとりでに解るのだと思つた。兼六公園にさへきじの声は聞かれなかつた。しかも本多家はいま此の屋敷に住んでゐないので、池の捌け口のさらさら流れるあたりにも、芝生や苔のある樹の下にも落葉だらけであつた。右手寄りの池の椎の暗みを土塀へ通じて藪があつた。その青い竹の肌だけが仄白い土塀をうしろにして、葉や枝を椎の茂みに覆はれてゐる姿が風雅だつた。
「あの藪から池のうしろへ廻れますか?」
「このとほり打つちやつてありますから、それに露でたいへんでせう。」
 それでもわたしは藪の中の小径から廻つて見ることにした。池が曲つた楓のかげに十一重の円笠の石塔があつた。まる彫らしいのが十一重の明暗を塔ごとに蒼ぐろくしきつて、寂かに露をあびて立つた姿が落着いてよかつた。あたりの小径は見分けがたいほどの落葉に埋れて、じめじめと柔らかくわたしの下駄を浮かした。
 老いた樹が多く奥の方は暗かつたので、池の前へ取つてかへし、三太夫に池の正面の縁の高い屋敷を見せて貰ふことにした。前田から本多家へ二度も嫁入りしたことがあつたので、この屋敷をそつくり嫁入道具として持つて来たのであると言つて、百畳ばかりの部屋を見て廻つた。床の間のある部屋には御簾の釘跡があり、閾の中壺に樫を篏め込んであつた。すべてが総檜の建物で中中美事であつた。わけてふしぎなのは、襖の手かけに五分四方くらゐの穴があいてゐて鍵のやうにかつちりと開いたり塞いだりできる覗きがあつた。むかしはその穴から次の間に立聞きなどしてゐはせぬかといふ用意のために、それを拵へたものらしかつた…

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