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乗用車発表に際して
じょうようしゃはっぴょうにさいして |
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作品ID | 53533 |
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副題 | ――豊田常務のメッセージ―― ――とよだじょうむのメッセージ―― |
著者 | 豊田 喜一郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「豊田喜一郎文書集成」 名古屋大学出版会 1999(平成11)年4月15日 |
初出 | 「トヨダニュース 第四号」1936(昭和11)年7月20日 |
入力者 | sogo |
校正者 | 塚本由紀 |
公開 / 更新 | 2015-06-02 / 2015-05-08 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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トヨダ乘用車の發表は既に五月頃から屡々噂に上り各方面から非常な期待を以て觀られてゐたがその後愛知縣刈谷の同工場ではボデーの製作を順調に進め先月[六月]中旬新組立工場完成移轉を機として愈々生産能力も擴充された。又一方乘用車發表遲延の一因とされてゐたボデー用大型鐵板もこの程多量に輸入を了したので愈々[八月]十五日を期して先づ名古屋に於て乘用車發表を行ふことに決定した。なほ東京、大阪兩地の發表は大體九月早々となる模樣である。
乘用車發表に際し豐田常務は左の如く語つた。
トヨダ乘用車に對しては各方面から非常な御期待を賜つて居りました處發表がかくも遲れた事は申譯ない次第であります。
扨愈々十五日を期して先づ名古屋で發表する事に致しましたが東京、大阪等各地は九月早々行ひたいと思つて居ます。今の豫定では九月一日に發表の日を選びたいと思つてゐます。宛も三年前の此の日私は縁戚關係に當る故園田男爵の法要があつて東京會館に於て私の方の社長とも同席したが此の時始めて社長に多年の抱負であつた自動車製造事業の計畫を打明け賛同を得たのでありました。かゝる次第で九月一日は謂はゞトヨダ自動車の誕生日ともいふ日に相當するわけで是非この日に發表したいと思つてゐます。
更に考へますと同日は彼の關東大震災記念日でもあり國民一般が嚴肅な氣分に浸る日でもあるのでこの機に於て我國最初の經濟大衆車を大市場に送る事も何等かの意味ある事と思つてゐます。
率先輸入して流線型を研究――常務の回顧談
乘用車の型の選定は自動車製造會社として最も愼重に考へなくてはならない事であり之は理窟のみでは決定する譯に行かず、美術的方面からも考へ、又世間の潮流にも從つて行かねばならぬ點もある。例へば米國に於ては型の選定如何が非常に其の年の車の賣行に影響する。一度モデルの選定を誤らんか自動車會社として破産の憂目さへ見る場合すらあると云はれている。
或外人は之をスペキユレーシヨンとまで極言して居るのでも、型の選定と云ふものは六ヶ敷いと云ふことは明らかである。スペキユレーシヨンと片着けてしまふのも何うかと思ふが兎に角夫程型の選定といふものは六ツ敷しいといふ事は明らかである。
アメリカ邊の實例を見ても一つの型を選定し、夫が實際に作られる迄には二年や三年はかゝるらしい。詰り世間の潮流がそれだけ先に行つて何う變化するかといふ樣な事まで豫想して掛らねばならぬ。
先づ私が型の選定にかゝつた昭和八年中頃は所謂三三年型時代で、從來のものより大分丸味を帶びて來た。多年頑張つてゐたフオードも流石に流行には敵し難く、之亦相當丸味がかつた型を賣り出した。此の事情を見ると型は丸味を帶び來るといふ事だけは明らかになつたが、それから後如何樣に變化するかといふ事は疑問であつた。
然るに丁度その頃アメリカではフローラインとかストリームラインと…