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鉄の死
てつのし |
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作品ID | 53535 |
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著者 | 室生 犀星 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆76 犬」 作品社 1989(平成元)年2月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2014-08-21 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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虎の子に似てゐたブルドツクの子どもは、鉄といひ、鉄ちやんと呼ばれてゐた。のそのそと物ぐささうに歩いて嬉しいときは何時も一声だけ吼えた。
鉄は、もう一頭ゐるゴリといふ土佐ブルと時々格闘をした。土佐ブルは鉄の二倍くらゐ大きさがあつて、格闘するごとに耳のつけもとを食ひ破られ、そのため耳のつけもとの毛が生えないで、つるつるにはげてゐた。負けるくせに辛抱づよく闘ふ鉄は引き分けてやつても戦ひを挑んできかなかつた。
ゴリは純粋の闘犬であつた。僕はゴリと鉄とが顔を合さないやうにゴリは裏口に、鉄は表門につないで置くやうにしてゐた。しかし運動に連れ出すときに顔を合すので、時にはお互に知らん顔をしてゐることもあつたが、両方の眼が正面から見合ふやうな時にその日の機嫌の工合で、眼の光がかち合つたなと思ふと、もう一つの塊になり、塊のなかから唸り声と、体と体との揉み合ふ動物的な重い音とが続くのであつた。鉄はいつも下敷にされてゐたが弱つても我慢づよく叫び声をあげなかつた。
それでゐて仲の善い時は二頭とも、僕につれられて運動に出た。鉄の方は鎖から放してゴリは綱で引いてゆくのだが、鉄はそんな時にわざと子供のやうにあまえてゐた。大森谷中に住んだ四年のあひだ、僕は毎日夕方と朝との一時間を溝川の土手づたひに、この犬たちと散歩しない日はなかつた。何処の家の庭に万作の木があつて春になると咲くとか、何処の家の女の子供は朝学校に出るとき決つて泣くとか、何処の家は女ばかり住んでゐてそのなかで一番美しい女が主人であるとか、何処の家に筧があつて夏になると涼しい水音が滴るとか、何処の家に柚子の木や柿の実がなつて美事であるとかいふことを、僕はいつのまにか覚えてゐた。溝川には川えびや鮠の子のやうなものがゐて、昔は大森谷中も大沼であつたことなど僕の散歩に風景的な背景を考へさせてゐた。
僕は大森馬込の奥に小さい家を建てて、沼地の谷中の町から去年の春に引越して行つた。鉄とゴリ、ほかに黒い猫が一疋僕らの荷物と一しよに馬込の新しい家に連れて行つたが、猫は二日も経たないあひだに前の貸家に行き、人気のない畳にさす春の日のなかに蹲つてゐた。何度連れてかへつてもやはり前の家をたづねて行き、食事も新しい家ではしなかつた。僕は庭をつくるために鉄やゴリの運動をさせることができなかつたが、或る日鉄の姿が見えず、前の家に人をやつて見るとそこの庭さきのもと彼の犬舎のあつたところに、昔のゆめでもさぐり当てるやうに温かくほかほかと睡つてゐた。
黒猫はひと月もかへつて来ないあひだに、鳶のやうな鋭い眼の光を持ち、のら猫の猾い逃脚と疑ひ深い心をもつやうになり、女房や女中が連れに行つても馴染みを逸れた卒気ないふうをした、僕はそんな猫なら打つちやつて置けと言つたが、古い家や古い庭や潜りなれた垣根を慕ふ、執念深い畜生の心を悲しまざるをえなかつた。食物も…