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庭をつくる人
にわをつくるひと
作品ID53537
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆6 庭」 作品社
1983(昭和58)年8月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2014-08-24 / 2014-09-16
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

つくばい

 つれづれ草に水は浅いほどよいと書いてある。わたくしは子供のころは大概うしろの川の磧で暮した。河原の中にも流れとは別な清水が湧いていて、そこを掘り捌いて小さいながれをわたくしは毎日作って遊んだものである。ながれは幅二尺くらい長さ三間くらいの、砂利をこまかに敷き込み二た側へ石垣のまねをつくり、それを流れへ引くのであったが、上手の清水はゆたかに湧きながれて、朝日は浅いながれの小砂利の上を嬉々と戯れて走っているようであった。自分はところどころに小さい橋をつくり、石垣には家を建て、草を植え花を配したものであった。此の頃になってつれづれ草ばかりでなく、水は浅く川はば一ぱいにながれて居る方がよいと思った。水というものは生きているもので、どういう庭でも水のないところは息ぐるしい。庭にはすくなくとも一ところに水がほしい。つくばい(手洗鉢)の水だけでもよいのである。乾いた庭へ這入ると息づまりがしてならぬ。わたくしたちが庭にそこばくの水を眺めることは、お茶を飲むと一しょの気持である。
 わたくしは蹲跼(石手洗い)というものを愛している。形のよい自然石に蜜柑型の底ひろがりの月がたの穴をうがった、茶人の愛する手洗石である。庭のすみに置くか、中潜りの枯木戸の近くに在るものだが、此のつくばいの位置は難しくも言われ、事実、まったくその位置次第で庭相が表われやすい。わたくしは茶人や庭作人の眼光外にいるものだが、しかしこの位置だけは定石であるだけに踏みやぶるわけにはゆかない、つくばいだけは背後の見透しが肝心である。矢竹十四五本ばかりうしろに見せ、前石(つくばいに跼んで手を洗う踏石)の右に矮い熊笹を植えるのもよい、とくさは手洗いにつきすぎて陳腐であるから、若しこれを愛する人があるならば此のつくばいから四五尺隔れたところに突然に植えて置く方が却ってよかろう。しかしつくばいとのつなぎのために砥草のわきに棄石がなければならぬ。或る庭で見たのであるが唯の一本の枝ぶりのよい山茶花の下につくばいがあり、水さばきの鉢前の穴の上に山茶花四五弁こぼれている風情は全くのよい姿をしていた。これは偶然に初冬のころだったので目を惹いたのであろう。
 いっそ此のつくばいのうしろに猗々たる藪畳があっても、つくばいが相応に立派なものだったら百畳の竹をうしろに控えていても、しっかりと抑えて据えられるであろうと思う。主としてつくばいは朝日のかげを早くに映すような位置で、決して午後や夕日を受けない方を調法とする。水は朝一度汲みかえ、すれすれに一杯に入れ、石全体を濡らすことは勿論である。その上、青く苔が訪れていなければならぬが、一塵を浮べず清くして置かなければならぬ。口嗽ぎ手を浄めるからである。
 兼六公園にある成巽閣の後藤雄次郎作の四方仏は、小流れに沿うて据えられ、石仏四体が刻まれている。小流れの両側に奇石珍木を配して…

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