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〔『支那思想と日本』初版〕まえがき
〔『しなしそうとにほん』しょはん〕まえがき
作品ID53724
著者津田 左右吉
文字遣い新字新仮名
底本 「津田左右吉歴史論集」 岩波文庫、岩波書店
2006(平成18)年8月17日
初出「支那思想と日本」岩波新書、岩波書店、1938(昭和13)年11月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2017-07-22 / 2017-09-29
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この書の第一部は「日本に於ける支那思想移植史」と題して、岩波講座の『哲学』の昭和八年一月発行の部分に載せたもの、第二部は「文化史上に於ける東洋の特殊性」という題名の下に、同じ講座の『東洋思潮』のために、昭和十一年のはじめに書いたものである。今この二篇を合せて岩波新書の一冊とするに当り、説明の足りなかったところを補い、支那文字を少しでもへらす意味において文字のつかいかたをいくらか変えると共に、題目をもききやすいことばに改めた。わたくしは、近ごろ、支那文字をつかうことをできるだけ少くするように心がけているのであるが、前に書いたものをそうひどくなおすことは、全体を書きかえない限り、むつかしいので、このたびは、このくらいにしておくよりしかたがなかったのである。
 この二篇は、いずれも今度の事変の前に書かれたものであるが、事変によって日本と支那との文化上の交渉が現実の問題として新によび起されて来た今日、再びそれを世に出すのは、必しも意味のないことではあるまいと思う。日本人が日本人みずからの文化と支那人のそれとに対し、また支那人が支那人みずからの文化と日本人のそれとに対して、正しい見解をもつことの必要が今日ほど切実に感ぜられる時はない。もしその見解にまちがったところがあり、そうしてそのまちがった見解に本づいて何らかのしごとが企てられるようなことがあるとしたら、そのなりゆきには恐るべきものがあろうと気づかわれるからである。
 この二篇に共通な考は、日本の文化は日本の民族生活の独自なる歴史的展開によって独自に形づくられて来たものであり、随って支那の文化とは全くちがったものであるということ、日本と支那とは別々の歴史をもち別々の文化をもっている別々の世界であって、文化的にはこの二つを含むものとしての一つの東洋という世界はなりたっていず、一つの東洋文化というものはないということ、日本は、過去においては、文化財として支那の文物を多くとり入れたけれども、決して支那の文化の世界につつみこまれたのではないということ、支那からとり入れた文物が日本の文化の発達に大なるはたらきをしたことは明かであるが、一面またそれを妨げそれをゆがめる力ともなったということ、それにもかかわらず日本人は日本人としての独自の生活を発展させ独自の文化を創造して来たということ、日本の過去の知識人の知識としては支那思想が重んぜられたけれども、それは日本人の実生活とははるかにかけはなれたものであり、直接には実生活の上にはたらいていないということ、である。日本と支那と、日本人の生活と支那人のそれとは、すべてにおいて全くちがっている、というのがわたくしの考である。この考は久しい前からもっていたものであって、二十年ものむかしに書いた『文学に現はれたる我が国民思想の研究』にも、一とおりそのことが述べてあるが、その後になってそれが…

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