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『東洋自由新聞』第一号社説
『とうようじゆうしんぶん』だいいちごうしゃせつ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「中江兆民評論集」 岩波文庫、岩波書店
1993(平成5)年3月16日
初出「東洋自由新聞」1881(明治14)年3月18日
入力者坂本真一
校正者フクポー
公開 / 更新2018-12-08 / 2018-11-24
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

吾儕のこの新聞紙を発兌するや、まさに以て海内三千五百万の兄弟とともに共に向上の真理を講求して、以て国家に報効するあらんと欲せんとするなり。乃ち尋常紙上に記載する事件の首において次を逐ふて我儕の所見を叙述し、以てあまねく可否を江湖の君子に問んとし、ここにその目を掲するに左の数項の外に出でず。曰く自由の説、曰く君民共治の説、曰く地方分権の説、曰く外交平和の説、曰く教育、曰く経済、曰く法律、曰く貿易、曰く兵制なり。これ固より一朝一夕の能く尽す所にあらず、まさに日を積み月を累ねてまさに始て自ら尽して余りなきことを得べし。今や第一号を発するに臨み、先づ吾儕社名の義を取る所の自由の説を述べて以て端を啓くといふ。
 自由の旨趣その目二、曰くリベルテーモラル(即ち心神の自由)、曰くリベルテーポリチック(即ち行為の自由)なり。請ふ先づひろく自由の本義を説き、しかる後二者の自由に及ばむ。
 それリベルテーの語はこれを訳して自主、自由、不羈独立等といふ。しかれどもその意義の深微に至りてはこの数語の能く尽す所にあらず。けだし古昔羅馬にありては政権を有する士君子即ちいはゆる良家子に当つるにこの称を以てして、以為らくわが天然に得る所の情性に従ふてその真を保つことを得る者独り以てこの称に当るべしと。意けだし此を以てその束縛箝制を受けたる奴隷囚虜の属に別たんと欲するなり。
 第一、リベルテーモラルとは我が精神心思の絶ゑて他物の束縛を受けず、完然発達して余力なきを得るをいふこれなり。古人いはゆる義と道とに配する浩然の一気は即ちこの物なり。内に省みて疚しからず、自ら反して縮きもまたこの物にして、乃ち天地に俯仰して愧[#挿絵]するなく、これを外にしては政府教門の箝制する所とならず、これを内にしては五慾六悪の妨碍する所とならず、活溌々転轆々として凡そその馳[#挿絵]するを得る所はこれに馳[#挿絵]し、いよいよ進みて少しも撓まざる者なり。故に心思の自由は我が本有の根基なるを以て、第二目行為の自由より始めその他百般自由の類は皆此より出で、凡そ人生の行為、福祉、学芸皆此より出づ。けだし吾人の最もまさに心を留めて涵養すべき所この物より尚なるはなし。
 第二、リベルテーポリチックは即ち行為の自由にして人々の自らその処する所以の者、及びその他人とともにする所以の者皆この中にあり。その目を挙ぐ、曰く一身の自由、曰く思想の自由、曰く言論の自由、曰く集会の自由、曰く出版の自由、曰く結社の自由、曰く民事の自由、曰く従政の自由なり。
 心思の自由は天地を極め古今を窮めて一毫増損なき者なり。しかれども文物の盛否と人の賢愚とに因り、その及ぶ所あるいは少差異なきこと能はず。行為の自由に至りては気候の寒熱、土壌の肥硬、風俗の淑慝等に因り、その差異更に甚しき者あり。ああ心思の自由なり行為の自由なりこれ豈少差異あるべけんや。しかし…

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