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メメント モリ
メメント モリ
作品ID53761
著者田辺 元
文字遣い新字新仮名
底本 「死の哲学 田辺元哲学選Ⅳ〔全4冊〕」 岩波文庫、岩波書店
2010(平成22)年12月16日
初出「信濃教育 第八五八号」1958(昭和33)年5月
入力者POKEPEEK2011
校正者吉田隼人
公開 / 更新2021-02-03 / 2021-01-27
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 西洋には古くからメメント モリ Memento mori(死を忘れるな)というラテン語の句がある。ふつうには、例えば髑髏(しゃれこうべ)の如き、人に死を憶起させるものを指してかく呼ぶのであるが、しかしその深き意味は、旧約聖書詩篇第九〇第十二節に、「われらにおのが日をかぞえることを教えて、知慧の心を得さしめたまえ」とあるのに由来するものと思われる。けだし人間がその生の短きこと、死の一瞬にして来ることを知れば、神の怒を恐れてその行を慎み、ただしく神に仕える賢さを身につけることができるであろう、それ故死を忘れないように人間を戒めたまえ、とモーゼが神に祈ったのである。その要旨がメメント モリという短い死の戒告に結晶せられたのであろう。ところでこの戒告は、現代のわれわれにとって、今述べた詩篇の一節に含まれて居たような内容とはだいぶん違った一層深き意味をもつごとくに思われる。なぜならば、今日のいわゆる原子力時代は、まさに文字通り「死の時代」であって、「われらの日をかぞえる」どころではなく、極端にいえば明日一日の生存さえも期しがたいのである。改めて戒告せられるまでもなく、われわれは二六時中死に脅かされつづけて居るのだからである。しかしそれではわれわれは果して、この死の威嚇によって賢さを身につけ知慧の心を有するに至ったであろうか。否、今日の人間は死の戒告をすなおに受納れるどころではなく、反対にどうかしてこの戒告を忘れ威嚇を逃れようと狂奔する。戒告を神に祈るなどとは思いも寄らぬ、与えられる戒告威嚇の取消しを迫ってやまないのである。例えば毎日のラジオが、たあいない娯楽番組に爆笑を強い、芸術の名に値いせざる歌謡演劇に一時の慰楽を競うのは、ただ一刻でも死を忘れさせ生を楽しませようというためではないか。「死を忘れるな」の反対に「死を忘れよ」が、現代人のモットーであるといわなければなるまい。
 西洋の文芸復興期に始まった生の解放という気運は、ただに近世において絢爛たる芸術文学の花を咲かせたばかりではない。更に生の自由なる享楽と伸張とのために発達した科学技術をあくまで奨励発展せしめて、遂に今日の科学技術時代をもたらしたのである。科学技術がそのはじめ生に奉仕すべき使命をになって居たことはなんら疑を容れないところである。その関係を生の立場から反省した結果が、科学の自覚としての哲学における実用主義認識論に外ならない。しかも哲学はこの科学批判に止まらず、更に一般に文化をその批判の対象として生の普遍的自覚にまで自らを拡充した。前世紀末から今世紀初にかけて流行したいわゆる「生の哲学」というものこれである。それに属するのは、ただにこの名を標榜するものには限らない。一般にいわゆる理想主義の哲学といわれるものも、人間に固有なる理想的本質を実現することをもって生の満足と看なし、生を超え死を超ゆる何も…

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