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こども風土記
こどもふどき
作品ID53809
著者柳田 国男
文字遣い新字新仮名
底本 「こども風土記・母の手毬歌」 岩波文庫、岩波書店
1976(昭和51)年12月16日
初出「朝日新聞」1941(昭和16)年4月1日~5月16日、鹿遊びの分布「民間伝承 六巻九号」1941(昭和16)年6月号
入力者Nana ohbe
校正者川山隆
公開 / 更新2013-01-13 / 2014-09-16
長さの目安約 91 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

小序

 子どもとそのお母さんたちとに、ともどもに読めるものをという、朝日の企てに動かされたのであったが、私にはもうそういう註文に合うような文章を書くことができなくなっているらしい。「こども風土記」が新聞に連載せられている間、面白く読んでいるよと言って励ましてくれた人は多かったが、それはたいていは年をとった仲間だけであった。近所のまたは親しい少年少女の中には、気をつけていたけれども、読んでいる者ははなはだ少なかった。
 うれしかったのは友人の一人が、うちではいつのまにか朝日が切り抜いてある。子どもが読んでから帳面に貼るそうだと、告げてくれたことである。九州の或る町からは、お清書のような字を葉書に書いて、鹿の角の遊びを知らせて来た少女がある。母が柳田さんにお知らせするとよいと言いましたからとあるのを見て、是だけは少なくとも予定の読者であったことがわかった。小学生の通信は、この以外には二つ三つしか受取っていないが、それでも東京・大阪の都会へ出て働いている人で、ほんの四、五年前の子どもかと思われる人たちから、あどけない感激の手紙は幾つか来ている。始めて親に離れ故郷に別れて、人中の生活をする者の胸のうちには、或いはもう一度「子ども」の感じが蘇って来るのではあるまいか。もしそうだとすると、強いて現在の子どもと母ばかりを追うてあるくにも及ぶまいかと思う。一つの新しい経験は、横浜近くに住む或る一人の女性から、こういう意味のことを私へ言って来られた。自分は亡夫が外国にいた留守の間、二児を連れて伊予の松山に住んでいたが、鹿々何本の遊びは毎日のように子どもが窓の外へ来て遊んだのでよく知っている。ただそれがどういう所作を伴うかは出ても見なかったので言うことができない。当時最も熱心にこの遊戯に参与した二人の子どもに問えばすぐに判るのだが、一人は中支にあり、一人は九州の或る職場に働いているので、今は尋ねてみる方法もないという。すなわち茲にもまた二十年前の子どもとお母様とが、再びその感慨を新たにしているのである。母といた日の悦楽は、老いたる私にさえも蘇ってくる。つまりはこの文章は人のために書いたのではなかった。
「こども風土記」が本の形になって世に遺ると聴いて、改めてまた私は考えて見た。現在の少年少女が老い尽し、彼らの孫曾孫が嬉々として膝の前に遊び戯るるを見る時代には、この一巻の文章は果してどうなっているであろうか。人間に永遠の児童があり、不朽の母性があることを認めつつも、それを未出の同胞国民とともに、談りかわすべき用意は整っていると言えるであろうか。僅か百年を隔てた祖先の文章は、もう註釈がなくては我々には読めない。今日の文章はさらに一段と時代の制約を受けている。是がいわゆる現代語訳のお世話になり、味も匂いもすり切れてしまってから、ただ義理だけに敬われるようなことのないように、時の古今…

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