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雑木林の中
ぞうきばやしのなか
作品ID53862
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」 国書刊行会
1995(平成7)年7月10日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-06-06 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治十七八年比のことであった。改進党の壮士藤原登は芝の愛宕下の下宿から早稲田の奥に住んでいる党の領袖の処へ金の無心に往っていた。まだその比の早稲田は、雑木林があり、草原があり、竹藪があり、水田があり、畑地があって、人煙の蕭条とした郊外であった。
 それは夏の午後のことで、その日は南風気の風の無い日であった。白く燃える陽の下に、草の葉も稲の葉も茗荷の葉も皆葉端を捲いて、みょうに四辺がしんとなって見える中で、きりぎりすのみが生のある者のようにあっちこっちで鳴いていた。登は稲田と雑木林の間にある小さな路を歩いていたが、処どころ路が濡れていて禿た駒下駄に泥があがって歩けないので、林の中に歩く処はないかと思って眼をやった。そこには雑草に交って野茨の花が白く咲いていたが、その雑草の中に斜に左の方へ往っている小さな草路があった。登はその草路の方へ歩いて往った。
 鍔の広い麦藁帽は雑木の葉端に当って落ちそうになる処があった。登はそれを落さないようにと帽子の縁に右の手をかけていた。彼はその時先輩に対して金の無心を云いだす機会を考えていた。彼は何人か二三人来客があっていてくれるなら好いがと思った。それはもう途中で二度も三度も考えたことであったが。
 ……(今日は何しに来たのだ)
 と云うのを待って、
(すみませんが……)
 と、云うように頭を掻いてみせると、
(また金か、この間、くれてやったのが、もう無くなったのか、幾等いるのだ)
 と、豪放な口のきき方をするのを待っていて、
(すみませんが、五円ぐらい……)
 とやると、
(しょうの無い奴だ)
 と、云って傍の手文庫の中から出してくれるが、何人も傍にいない時には一銭も出さない。……
 彼は今日あたりは幹事の島田あたりがきっと来ているだろう、内閣割込み運動のような秘密な会合だとその席へは通れないが、普通の打ち合せで、それから晩餐でもいっしょにやると云うようなことであったら、通さないこともないだろう。そうなると金が貰えたうえに、酒にもありつけると思った。彼は好い気もちになって来た。
 眼の前に壮い小供小供した女の顔が浮かんで来た。彼の心はその方に引かれて往った。
(小桜)
 あれはたしかに小桜と云ったなと思った。それはその前夜吉原の小格子で知った女の名であった。
(今晩もずっと出かけて往こう)
 登はふと足のくたびれを感じた。彼は愛宕下から休まずにてくてく歩いて来たことを考えだした。額には湯のような汗があった。彼は右の手を腰にやった。白い浴衣の兵児帯には手拭を挟んであった。彼は手さぐりにその手拭を執り、左の手で帽子を脱いで汗を拭った。
 一軒の茶店のような家が眼の前にあった。そこは路の幅も広くなっていた。一間くらいの入口には納涼台でも置いたような黒い汚い縁側があって、十七八の小柄な女が裁縫をしていた。それは小供小供した一度も二度…

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