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社会事情と科学的精神
しゃかいじじょうとかがくてきせいしん
作品ID53864
著者石原 純
文字遣い新字新仮名
底本 「現代日本思想大系 25 科学の思想Ⅰ」 筑摩書房
1964(昭和39)年9月25日
初出「科学ペン」1937(昭和12)年3月
入力者川山隆
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2016-07-27 / 2016-06-10
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 近時において世界はあらゆる混乱に陥り、すべての国家は険悪な難路を歩みつつあること周知のごとくである。我々の周囲においても思想の錯雑紛糾せること今日のごときは未だかつて見ないといってよいほどであり、したがってすべての人々がこれに多大な関心をもたないわけにゆかない有様になっている。しかも最も恐るべきことには、我々を取り囲むところの全雰囲気がいつかしら一定の偏向を示そうとするかのごとくに見えるのである。我々は正常な雰囲気の状態においてこそ、安らかに生命を保続することができるのであるのに、これがいちじるしく常態を外れるにあたって、そこに多くの憂慮すべき事情の現われることを虞れねばならないであろう。あまりに多く酸素の欠乏せる大気のなかに、我々は窒息を覚えねばならなかったであろうし、もしまた反対に、酸素の過剰に出遇うならば、各人はいたずらに昂奮して無意味な乱舞に陥るかも知れない。だが、すでに非常時の声が我々の国内に漲って以来、この国土における雰囲気はどんな変化を示しつつあるのか。とくにいわゆる五・一五事件や二・二六事件のごとき悲痛なる体験を経来って、そこには明らかにファシズム的色彩が漸次濃厚に達しつつあるではないか。かくのごときものは果して我々の避け得られない運命であったのかどうか、我々は今日においてまさに我々みずからを正視する必要があるであろう。
 ここにすべての人々の奮起すべき絶対的な理由がある。この危機に際してはすべての社会事情に対して出来得る限り誤らない検討批判が行なわれなくてはならない。威力に脅かされ、いたずらに黙して退くがごときは、まさに良心的な国民の責を果さないものとさえいわねばならないであろう。だが、我々は同時に絶大な困難を予想する。もしこの検討批判にして独断的に陥り、もしくは極めて浅薄な見解に終始するならば、それはかえって国運の前途に災いするにさえ至ること確かであるからである。しかも独断的でありまたは浅薄なるものはほとんどすべての場合に、当然そうであることの自覚を欠いて現われるのである。ここにあらゆる危険性が包蔵される。我々の信ずるところではこれを避ける唯一の道は科学的精神に徹底することである。あらゆる事情を科学的に検討し批判することによってのみ、我々は我々に可能な限りにおいて、最も望ましいものを見出すことができるであろう。
 だが、このことは抽象的に主張するのは容易であるが、一々の具体的事実についてこれを行なおうとする場合に、異常な困難を伴うのはいうまでもない。これはもとより社会事情の極めて複雑なるのによるのであるが、しかしそれにしても主要な社会的政策においてもし科学的精神に反するようなものがあったとしたならば、これを痛論駁撃してその実行を避けしめることは、とくにこの科学的精神を重んずるものの当然なすべきところでなければならない。この意味において昨…

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