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おば金成マツのこと
おばかんなりマツのこと
作品ID53888
著者知里 真志保
文字遣い新字新仮名
底本 「和人は舟を食う」 北海道出版企画センター
2000(平成12)年6月9日
初出「北海道新聞」1961(昭和36)年4月9日朝刊
入力者川山隆
校正者雪森
公開 / 更新2015-08-02 / 2015-05-24
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 おば金成マツが老衰でなくなった。たまたま僕は数日前からがん固なしゃっくりで病床に伏しているのだが、朝から報道関係諸氏の来訪で身動きもできないありさまである。無形文化財とか、紫綬褒章とかいうものの偉力を身をもって体験させられた。これらのものが本人の生きている間に、せめてこの半分ぐらいでも偉力と功徳を発揮してくれたらもっといいのにと思った。
 金成マツはユーカラの筆録者としては絶好の条件を備えていた。まず郷里でも第一等のすぐれた家系に生まれ、近親にはユーカラの伝承者として有名な人々が雲のごとくいたし、ことにその母のモナシノウクばあさんは、胆振地方の津々浦々に名をはせた有名な伝承者であった。
 第二に、金成マツは当時の婦人としては第一級の教養を身につけていた。有名なジョン・バチェラー博士が、将来アイヌの布教師たるべき人材を養成するために、函館の谷地頭に愛隣学校という土人学校を設け、全道各地から優秀な児童を集めて教育した。おば(金成マツ)もその妹のナミ(私の母)もそこの卒業者であった。
 この学校では日本人小学校で教える一般課程のほかに英語の教育も施した。当時流行のナショナルリーダーが四巻そろって私の家にあったのを、中学時代の私が興味深く手に取って読んだのを記憶している。私の幼少時代とおばと母の間にかわされる手紙やはがきはすべてローマ字であった。部落の日本人たちはそれを英語の手紙と呼んで尊敬していたようである。後年おばがユーカラをローマ字で筆録する場合も、おそらくローマ字で物を書くということはなんの苦にもならなかったであろう。
 第三に、おばは少女時代に不慮のケガで両足を折ってしまい、それ以来生まれもつかぬいざりになってしまった。このことはおばをして結婚をあきらめさせ、一生をキリスト伝道者として送ろうと決心させ、ひいては後年ユーカラの筆録に余生をささげるようなめぐりあわせに導いた動機となった。おば個人にとって痛ましい出来事だったが、アイヌ研究にとっては皮肉にもそれが幸いになったのである。
 おばの布教は平取、近文と大正11年まで続いたが、どこの布教地でも、部落の小路をまわって部落全体の生活にとけこみ、そこで神の教えを説くということは肉体上の欠陥から不可能であった。それでいつも部落の中にある小さな教会に引きこもって、日曜には日曜学校を開き、女子供に説教するのがせいいっぱいであった。しかし、ふだんの日でも、夕方になれば部落の人々がよく遊びに来た。
 部落で新聞をとっていたのはわずか数軒にすぎなかったので、おばのところへ新聞のニュースや小説を聞きに来たり、またおばが不自由な身なので、祖母がいつも身の回りの世話をしていたのであるが、その祖母からユーカラを聞いて楽しんだりしたのである。こうしておばはその間にユーカラに関する知識をたくわえていったらしい。
 大正11年、女学校…

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