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アイヌ語のおもしろさ
アイヌごのおもしろさ
作品ID53898
著者知里 真志保
文字遣い新字新仮名
底本 「和人は舟を食う」 北海道出版企画センター
2000(平成12)年6月9日
初出「日本文化財 第十五号 アイヌ文化特集号」1956(昭和31)年7月
入力者川山隆
校正者雪森
公開 / 更新2015-07-01 / 2015-05-24
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 アイヌ語やアイヌ文学を扱っていると、われわれの予想もしなかったような考え方にぶつかって戸惑いするのは毎度のことである。
 例えば氷をアイヌ語では「ル[#挿絵]」(ru-p)と言う。「とける・もの」ということである。日本語の「コオリ」という語は「氷るもの」という意味であったと思われるから、さし示す対象は同じでも、ことばの裏の考え方には根本的なくいちがいがある。
 アイヌ語に、「エネア・レカ・イ カ イサム」(ene a-reka-ika isam)という表現がある。直訳すれば、「どう われら・褒め・よう も ない」ということで、「褒めようもない」から「くさす」という意味にもなりかねない。しかしこのアイヌ語の真意は、「それ以上ほめようとしても、ほめるキッカケがない」ということで、完全無欠を意味する慣用句なのである。
 また「ミナ・コヤイクス」(mina-koyaykus)という表現がある。直訳すれば「笑うことが・できない」ということである。「笑うことができない」ならば、「笑わないでムッツリとしている」のかと思えば、事実は「腹を抱えて笑う」ことである。「これ以上笑いたくても笑えない」というのが、このアイヌ語の真意である。
 古くアイヌは、自分たちをとりまく森羅万象を、自分たちと同様の生き物と考えていた。例えば風であるが、それはわれわれにとってこそ単なる空気の動きにすぎないのであるが、彼らにとってはそれは一個のれっきといた[#「れっきといた」はママ]生き物であった。またある地方では、風が吹き荒れると、戸外に草刈鎌を立てて、「風の神よ、あんまり暴れると、あんたの奥さんのズロースが切れますぜ」などと唱えた。風が女房を連れて暴れまわっているという考え方なのである。風が終日吹き荒れていたのが、夕方になってハタと吹きとだえることがある。そういう夕なぎのことを、「レラ オヌマン イペ」(風が夕方に食事する)という。風も人間同様に夕食をとり帰宅するという考え方である。
 アイヌに古くから伝承されているユーカラ(詞曲)の中に大風が吹きすさぶ場面がよく出てくる。例えば、烈しい風が森を襲うと、大地は轟々と鳴りわたり、森の木々はヒュウヒュウと鳴り続ける、そして折れやすい木は幹のまん中からポッキポッキと折れくだけ、折れにくい木はしなやかな小枝のように撓み伏し、また弾きかえす、風が野原に吹いてくると、忽ちそこに生えている青草を根こそぎ吹き上げて、宙にまきちらしてしまう。――というような場面であるが、それを原語の気持を生かして訳出してみると、怒れる風が森を襲って木々を投擲する、すると、木々が悲鳴を挙げて泣き叫ぶ、そして木々のうち、烈しい責め折檻にたえかねて折れたくなった者は自分の意志で幹のなかばから折れていき、あくまでも折れるものかと思う者は、風が襲いかかると見れば大地に身を伏せてそれをやり…

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