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![]() まんぷくついそう |
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作品ID | 539 |
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著者 | 葉山 嘉樹 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「筑摩現代文学大系 36 葉山嘉樹集」 筑摩書房 1979(昭和54)年2月25日 |
入力者 | 大野裕 |
校正者 | 高橋真也 |
公開 / 更新 | 1999-10-04 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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渓流は胡桃の実や栗の実などを、出水の流れにつれて持つて来た。水の引きが早いので、それを岩の間や流木の根に残して行く。
工事場の子供たちは、薪木にする為に、晒されて骨のやうになつた流木や、自分たちのお八つにする為に、胡桃や栗の実を拾ひ集めるのだつた。
胡桃の実も栗も、黒くなつてゐて、石の間や流木の間に挾まつてゐると、なか/\見つけるのに骨が折れたが、子供たちは大人よりも上手に見つけて、懐に入れたり、ポケットに入れたりして、それを膨らませてゐた。
小さな渓流で、それにかかつてゐる橋は、長さ三間位もあつただらうか。出水の時は、恐ろしく大きな音をたてて、玉石などを本流に転がし込むのだつたが、ふだんは子供たちのいい遊び場であつた。
清水の湧き出す処などを、うまく見付けて掘ると沢蟹の小さいのを、一升も二升も捕ることさへあつた。それは天ぷらにしても、煮つけても美味かつた。
その渓流の一部分に、トロッコの線を敷かねばならなかつた。
電車の線路工事に必要な、コンクリ材料の砂やバラス、玉石などを、本流の川原からウインチで捲き上げようと云ふ段取りなのであつた。
線路を敷きかけて見ると、方々に岩盤の出つ張りや、文字通り梃でも[#「梃でも」は底本では「挺でも」]動かない大きな玉石などがあつた。それはハッパをかけて取り除かねばならなかつた。
A橋と云ふ三間位の橋の袂には、農家が一軒、天竜の断崖とA川とに足を突つ張るやうにして立つてゐた。その農家に楔でも打ち込んだやうに、小さな飯場が一つ建つてゐた。
飯場は水の便利のいい所を選んで建てられるので、その下流よりにも沢山飯場が建てられてゐた。
飯場があると必ず子供たちが沢山ゐるのだつた。
だからハッパをかけたりする時は、その渓流で米を磨いだり、洗濯をしたり、胡桃を拾つたり薪を拾つたりする、飯場の女房連や子供たちに、危険を知らせ、上下流の工事場を往来する人々に、ハッパを知らせる為に、ベルを振つて、ハッパだあ、ハッパだあ、と、ハッパの済むまで怒鳴り続ける必要があつた。
十一月中旬の麗かな一日であつた。
天竜川中流の、峻嶮極まる峡谷地帯で一日中日照時間が三時間だとか四時間だとか云ふ地帯にも、こんないい日があるかと思はれるやうな、人の心も清々しくなるやうな一日であつた。
A橋の十間ばかり下流、殆ど天竜川本流への流入口近くで、冴えたセットの音が、チーン、チーンと聞えて来た。
梃でも[#「梃でも」は底本では「挺でも」]動かない玉石へ、ハッパ穴を穿つてゐるのだつた。タガネとセットとの、二つの鋼鉄から出る音は、澄んだ浸み透るやうな音楽的な音を立てて、山の空気を震はし、川瀬の音と和して、いい気持に人々を誘ひ込んだ。
それは百姓屋とそれに食ひ込んだやうな飯場の真下あたりの処だつた。
ハッパの破片は、主として石に穿られた穴の方向…