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ユタの歴史的研究
ユタのれきしてきけんきゅう |
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作品ID | 54137 |
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著者 | 伊波 普猷 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「沖縄女性史」 平凡社ライブラリー、平凡社 2000年(平成12)11月10日 |
初出 | 「琉球新報」1913(大正2)年3月11日~20日 |
入力者 | しだひろし |
校正者 | 成宮佐知子 |
公開 / 更新 | 2014-05-06 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 43 ページ(500字/頁で計算) |
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私は昨今、本県の社会で問題となっているユタについて御話をしてみたいと思います。「ユタの歴史的研究」! これはすこぶる変な問題でありますが、那覇の大火後、那覇の婦人社会を騒がしたユタという者を歴史的に研究するのもあながち無益なことではなかろうと思います。ユタの事などは馬鹿馬鹿しいと思われる方があるかもしれませぬが、この馬鹿馬鹿しいことが実際沖縄の社会に存在しているから仕方がない。哲学者ヘーゲルが「一切の現実なる者は悉く理に合せり」と申した通り、世の中に存在している事物には存在しているだけの理由があるだろうと思います。沖縄の婦人がユタに共鳴するところはやがて問題のあるところであります。女子は人類社会のほとんど半数を占めている、沖縄五十万の人民中二十五万以上は女子である。かくのごとく大なる数を有っている女子に関する問題が等閑に附せられているのは遺憾なることであります。それはとにかく、中央の劇場でイプセンの「ノラ」やズーダーマンの「マグダ」が演ぜられつつある今日、沖縄の劇場でユタの事が演ぜられるのは妙なコントラストであります。そこで私は、ユタを中心として活動する沖縄の古い女は婦人問題で活動する新しい女より二千年も後れていると断言せざるを得ないのであります。
さて本論に這入る前に、古琉球の政教一致について簡単に述べる必要があります。おおよそ古代において国家団結の要素としては権力腕力のほかに重大な勢力を有するのは血液と信仰であります。すなわち、古代の国家なるものは皆祖先を同じうせる者の相集って組織せる家族団体であって、同時にまた、神を同じうせる者の相集って組織せる宗教団体であります。いったい物には進化して始めて分化があります。そこで今日においてこそ、政治的団体、宗教的団体等おのおの相分れて互に別種の形式内容を保っているものの、これら各種の団体は古代に遡ると次第に相寄り相重り、ついにまったくその範囲を同じうして政治的団体たる国家は同時に家族的団体たり宗教的団体たりしもので、古来の国家が初めて歴史に見われた時代には皆そうであったのであります(河上肇著『経済学研究』の第九章「崇神天皇の朝、神宮・皇居の別新たに起りし事実を以て国家統一の一大時期を画すものなりと云ふの私見」参照)。私は沖縄の歴史においてもかくのごとき事実のあることを発見するのであります。
沖縄の歴史を研究してみると、三山の区画はその形式だけはとうに尚巴志によって破壊されたが、その実質は尚真王のころ三山の諸侯が首里に移された時まで存在したということがわかります。そしてこの中央集権は、じつに三山の割拠を演じていた周廻百里の舞台を首里という一小丘を中心とせる一方里の範囲に縮小したようなものであります。三山の遺臣はなお三平等(三ツの行政区画)に割拠して調和しなかったのであります。語を換えて言えば、政治的に統一された…