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忘れ残りの記
わすれのこりのき
副題――四半自叙伝――
しはんじじょでん
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「忘れ残りの記」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日
初出「文藝春秋」1955(昭和30)年1月~1956(昭和31)年10月
入力者川山隆
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2019-09-07 / 2019-08-30
長さの目安約 363 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

五石十人扶持


 おもいがけない未知の人から、ぼくらは常々たくさんな手紙をうける。作家とか何とか虚名をもった種類の人々はたぶんみなそうではないかとおもう。つい先頃もその中の一通に中野敬次郎とした封書があった。小田原市教育委員会事務局の封筒である。読者かナ、とおもいながら披いた。想像はちがっていた。次のような用向きだった。

 あるいはもうお忘れかもしれませんが、戦前、市長の益田信世氏の発唱で、当地の公民館で「吉川英治氏を郷土に迎える会」を開催したことがあります。小生も小田原図書館長、郷土史研究会の一員として、そのせつ演壇から御挨拶をかねて「吉川氏の先代について」といったような話をいたしました。甚だ古い事でそれだけの御縁でしかありませんが、じつは、来る十一月三日の文化の日に、おなじ会館において恒例の文化祭を催します。当地出身の文化人の方々にも何かとおせわになっておりますが、こんどはひとつ、もいちど郷土の人々へ何か御講演ねがえないでしょうか。御都合よろしくば重ねて詳細お打合せ申しますが、まずは……。

 右は文意で中野氏の原文ではない。この稿の書出しにあたって、手紙筥を掻き探してみたのだが、見つからないので、記憶に依ったわけである。ぼくは元来、信書は一切保存しない習慣だし、日記などもつけたことがない。旅行先へも手帳や写真機などは持って出たことがなく、どうかして気紛れに持って出ても、使って帰ったためしはない。
 自分が不精者なので、ひとの克明な記憶には、一も二もなく感心する。徳川夢声氏の随想などには、事々に何年何月とはっきり出てくる。おそらく日記の功徳であろう。他日、予期しない資料ともなって、後世を益するかもしれない。
 頼山陽の母梅[#挿絵]女史の日記などは、山陽がお腹にやどる前から山陽の死後十数年にまで及んでいる。世界に例のない“母の日記”といえようか。現在のでは永井荷風氏の“断腸亭日乗”など文明批評や風俗史料としても多大な文化価値をふくんでいる。かりにもし荷風氏の作品と日記とを二分していずれを採るかといえば、ぼくはためらいなく日記を採る。
 日記をつける風習はずいぶん古くからあったのであろう。ぼくの書いた新平家物語の参考書などにしても、肝腎かなめの所は、おおむね当時の公卿日記を参照とした。表面の史料よりも真に近い機微がうかがわれ、人間そのものにもじかに触れうるからである。
 ところが往々その公卿日記にもどっちを取っていいかわからない各人各様な記述に遭遇したりする。一つ事件も見方により当人の実感には相違をもってしまうものか。媒体が人間だからこれは避け難いことというほかはあるまい。また他人には示さぬものでも、つい偽飾や欺瞞の自意識にも片寄るのではあるまいか。
 日記は新年からがいい。来年から始めてみようと、ぼくも折には年暮の書店で新しい日記帳を買ってみたりする…

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