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断腸亭日乗
だんちょうていにちじょう
作品ID54185
副題03 断膓亭日記巻之二大正七戊午年
03 だんちょうていにっきまきのにたいしょうしちつちのえうまのとし
著者永井 荷風 / 永井 壮吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「荷風全集 第二十一巻」 岩波書店
1993(平成5)年6月25日
入力者米田
校正者小林繁雄
公開 / 更新2012-04-30 / 2022-09-22
長さの目安約 35 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

荷風歳四十

正月元日。例によつて為す事もなし。午の頃家の内暖くなるを待ちそこら取片づけ塵を掃ふ。
正月二日。暁方雨ふりしと覚しく、起出でゝ戸を開くに、庭の樹木には氷柱の下りしさま、水晶の珠をつらねたるが如し。午に至つて空晴る。蝋梅の花を裁り、雑司谷に徃き、先考の墓前に供ふ。音羽の街路泥濘最甚し。夜九穂子来訪。断膓亭屠蘇の用意なければ倶に牛門の旗亭に徃きて春酒を酌む。されど先考の忌日なればさすがに賤妓と戯るゝ心も出でず、早く家に帰る。
正月三日。新福亭主人この日余の来るを待つ由。兼ての約束なれば寒風をいとはず赴きしに不在なり。さては兼ての約束も通一遍の世辞なりし歟。余生来偏屈にて物に義理がたく徃[#挿絵]馬鹿な目に逢ふことあり。倉皇車に乗つて家に帰る。此日寒気最甚しく街上殆人影を見ず。燈下に粥を煮、葡萄酒二三杯を傾け暖を取りて後机に対す。
正月七日。山鳩飛来りて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必只一羽わが家の庭に来るなり。いつの頃より来り始めしにや。仏蘭西より帰来りし年の冬われは始めてわが母上の、今日はかの山鳩一羽庭に来りたればやがて雪になるべしかの山鳩来る日には毎年必雪降り出すなりと語らるゝを聞きしことあり。されば十年に近き月日を経たり。毎年来りてとまるべき樹も大方定まりたり。三年前入江子爵に売渡せし門内の地所いと広かりし頃には椋の大木にとまりて人無き折を窺ひ地上に下り来りて餌をあさりぬ。其後は今の入江家との地境になりし檜の植込深き間にひそみ庭に下り来りて散り敷く落葉を踏み歩むなり。此の鳩そも/\いづこより飛来れるや。果して十年前の鳩なるや。或は其形のみ同じくして異れるものなるや知るよしもなし。されどわれは此の鳥の来るを見れば、殊更にさびしき今の身の上、訳もなく唯なつかしき心地して、或時は障子細目に引あけ飽かず打眺ることもあり。或時は暮方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど决して人に馴れず、わが姿を見るや忽羽音鋭く飛去るなり。世の常の鳩には似ず其性偏屈にて群に離れ孤立することを好むものと覚し。何ぞ我が生涯に似たるの甚しきや。
正月十日。歯いたみて堪へがたし。
正月十一日。松の内と題する雑録を草して三田文学に寄す。
正月十二日。寒気甚しけれど毎日空よく晴れ渡りたり。断膓亭の小窗に映る樹影墨絵の如し。徒然のあまりつら/\この影を眺めやるに、去年十一月の頃には昼前十一時頃より映り始め正午を過るや影は斜になりて障子の面より消え去りぬ。十二月に入りてよりは正午の頃影最鮮にて窗の障子一面さながら宗達が筆を見るが如し。年改りて早くも半月近くなりたる此頃窗の樹影は昼過二時より三時頃最も鮮にして、四時を過ぎても猶消去らず。短き冬の日も大寒に入りてより漸く長くなりたるを知る。障子を開き見れば瑞香の蕾大きくふくらみたり。
正月十三日。園丁五郎を呼び蝋梅芍薬…

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