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新・平家物語
しん・へいけものがたり
作品ID54186
副題02 ちげぐさの巻
02 ちげぐさのまき
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「吉川英治全集・33 新・平家物語(一)」 講談社
1967(昭和42)年8月20日
初出「週刊朝日」1950(昭和25)年4月号
入力者川山隆
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2023-08-11 / 2023-08-08
長さの目安約 251 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

貧乏草



『平太よ。また塩小路などを、うろうろと、道草くうて、帰るではないぞ』
 使の出がけに、清盛は、父忠盛から背へ喚かれた。――その声に、たえず背を追われているようなかれの足つきだった。
 何といっても、父は、こわい。おととし、保延元年である。その父親について、かれは初めて、四国、九州へまで渡った。
 在京の兵をひきい、内海の賊徒を平定に征ったのだ。春四月から八月までかかって、海賊の頭株以下三十余人を数珠つなぎにし、意気揚々と、都へ、凱旋したときの晴れがましさは、忘れ得ない。
(おやじは、えらいのだ。……やはり、本当は、偉かったのだ)
 清盛は、それ以来、父への認識をあらためた。こわさが、違ってきたのである。
 少年時から、家庭を通じて、かれの心に、映されてきた父なる者は、およそ、社交ぎらいの物ぐさで、出世欲もなければ、経済的なあたまもなく、ただ貧乏性を頑に守ることだけが強い一武人としか見えなかった。
 が、決して、それは、童心の描きあげた父親像ではなく、多分に、母から日ごろに吹っこまれる愚痴やら環境にも依るものだった。もの心ついて以来のかれの記憶によれば、都も場末の今出川の荒れやしきに、十年の余も、雨もりのつくろい一つせず、庭草も刈らず、住み古して、家の中では、父と母とが、のべつ夫婦喧嘩ばかりやっていた。そのくせ、平太清盛をかしらにして、次男の経盛だの、三男坊だの、四男坊だの、子どもばかりは、次つぎに、産まれていた。
 その父は、しかも、とかく官途をきらって、鳥羽の院へも、御所の衛府へも、特に、召されでもしない限りは、出仕した例がない。家計は、伊勢の禄地から上がる稲が唯一の収入で、おりおりの賜わり物だの、役得のみいりなどは、一切、なかった。
 清盛にも、このごろやっと分かってきた。両親のいがみあいも、原因はいつもそこらにあるらしい。母は、口達者で、良人の忠盛からいわせると――油紙に火がついたようによく喋べる女――なのである。
 かの女が、忠盛へ、まくしたてるきまり文句は、いつも、こうだった。
『ふたことめには、良人に向かってと、すぐこわい顔をなさいますが、わが家に、そんな立派な良人顔があるとは、思いもよりませんでしたよ。あなたは、もともと、伊勢平氏のいなか育ちで、汚い貧乏も、性に合っているかもしれませんが、わたくしは、都そだちです。親類縁者とて、みな藤原一門の公卿堂上ばかりですからね。こんな雨もりだらけな屋根の下で、年じゅう、芋粥や稗飯ばかりをかみつぶし、秋といっても、月見の御宴に伺えるではなし、春が来ても、豊楽殿のお花見などは、他人のこと。人間ともむじなとも分からぬ日を、毎日こうして、くり返してゆく生活なんて――わたくしは、自分の未来に、夢にも思っていませんでした。……ああ、わたくしは何という、不しあわせな女なのであろ。……子どもさえいなかったら…

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