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巽軒先生喜寿の祝辞
そんけんせんせいきじゅのしゅくじ
著者中島 徳蔵
文字遣い旧字旧仮名
底本 「井上先生喜壽記念文集」 冨山房
1931(昭和6)年12月15日
初出「井上先生喜壽記念文集」冨山房、1931(昭和6)年12月15日
入力者岩澤秀紀
校正者フクポー
公開 / 更新2019-05-31 / 2019-04-26
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私はまだ郷の中學に居た頃に、始めて先生の「心理新説」を讀んだ。其れは木版で印刷された單簡な二册ものであつた。又た殆んど同時に、「西洋哲學史講義」も讀んだ。其れも木版二册もの先生の洋行前の著述で、最後に此の講義の續きは三宅雄次郎君に托して外遊するとのことが記してあつたと記憶する。當時私は乳臭で、とても會得が出來たことではなかつたが、それでも幾分哲學上の術語に接し、ターレスやピタゴラスなど、西洋哲學者の名を知つて哲學に對する興味を唆り、同時に先生に對して深い景慕の念を懷くに至つた。
 先生が歸朝されて間もなく、私も上京勉學の機を得た。帝國大學豫備門大講堂で初めて先生の風[#挿絵]に接して、兼ての渇望を滿すことが出來た。講堂は今の商科大學跡の筋ぢ向ひ、學士會館の南隣であつた。先生の演題は確かと記憶して居ないが、何にせよ新歸朝の大哲學者、一世の大導師で名聲天下を壓するものがあつたから、聽衆は堂に溢れる斗り、勿論日頃の崇拜者たる私も友人二三と共に其所へ駈けつけた。私等が會場間近かまで行くと、急に參集者の誰れかが一方を指して小聲で先生先生と呼ぶ者があつた。見れば少し首を左に曲げて、少し俯しめに物思はしげにユル/\歩を運んで、左も思想家らしい中肉中ぜいの若い紳士があつた。此れぞ即ち當日の講演者たる大先生であつた。論旨は未熟な私に十分よく理解されようもなく、隨つて記憶もないが、唯だ先生が荐りにシヨッペンハワーを繰り返され、又た井上圓了博士を翻弄されたことは忘れない。佛教活論以來、此れも又た大哲學者として私が敬嘆して居た圓了博士が、此うまで木ツ葉微塵に粉碎されたに觀ても、大先生の上に尚ほ大々先生があるものと感じたことであつた。此れが私の頭に印せられた巽軒先生の第一印象であつた。
 其の大々先生の講義を親しく聽き得るに至つたことは、私に取つて何れ程の幸福であつたか。其れは言ふを待たない。又た先生の講義が、日本の學界に取つて何れ程の重要さがあつたか。其れは天下周知の事實で、私が再述するを待たない。
 唯だ學生として私が先生の教へて倦まざる親切に就て、忘れることの出來ない一經驗がある。學生は例も教授を訪問するを樂しむもので、私などは寧ろ先生に對しては其の樂しみをみだりにした方であらう。が其れは教授に取つては迷惑に相違ない。然るに先生は訪問日こそ定めてあれ、面會し得さへすれば、曾て一度も迷惑さうな顏付き態度をされたことがなかつた。今自分も教授となつて見て、始めて此れは出來ないことだと痛感して居る。否な更らに、先生は何日も其私宅に學生を歡迎された斗りでなく恰も大聽衆に死生の一大事因縁をでも説くかの如く、一人の凡庸學生に向つてさへ、諄々として説いて止まない概があつた。甚だ失禮な心態ではあつたが、一度などモウ疾ツくにドンがなつて、腹がペコ/\になつて、私の心中最早終講をと願つて居たに關は…

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