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知的作用と感情と
ちてきさようとかんじょうと
作品ID54367
著者増田 惟茂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「井上先生喜壽記念文集」 冨山房
1931(昭和6)年12月15日
初出「井上先生喜壽記念文集」冨山房、1931(昭和6)年12月15日
入力者岩澤秀紀
校正者フクポー
公開 / 更新2019-08-06 / 2019-07-30
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 知的作用について吾々は二つの方面を區別する事が出來る。一つは働き、又は機能であつて、他は意識内容である。見る、聞く等の樣な知覺の働は前者であり、色、形、音等感覺とか知覺表象とか云はれるものは後者である。想起、想像、思考等は前者であり、記憶像、想像に浮べるもの即ち想像表象、概念等は後者である。
 其内前者即ち心的働きの方は無視される傾がある。私はこれを心的働きの自己無視の傾向と呼んで居る。吾々が知覺する時、吾々の意識に表はれるものは色や形や音或は其複合體である。「意識に表はれる」などと云ふのは反省の結果であつて、素朴的な經驗に於いては色や形や音等がそこに在るのである。知覺の働きを離れて、或はそれが無視せられて、色や形等が只對象としてそこに見出されるのである。
 知的活動が素朴的な立場から進んで反省的になると共に、一面に於いては、無批判的でなく批判的に心的働きを無視し得る對象――即ち一切の心的働きを離れても存すると見得べき所のものを突止めようとする努力を生じた。物的科學に於ける知的活動は此方向を取つて居る。他面に於いては、素朴的經驗の對象を心的働きに依屬するもの、即ち意識内容と觀ずる見方を生じた。素朴的經驗に於いても此兩方向の見方は多少分化しては居るが、批判的、學問的態度の發達と共に此分化、此對立が明になつたのである。そして心理學は後の見方に沿ふて獨立の經驗科學に發達したのであつで[#「あつで」はママ]、初期の經驗的心理學は意識内容を中心としたものである。觀念と其聯合から一切の心的生活を説明しようとした英國の聯想派やヘルバルトの心理學もさうであり、フェヒネルから初まつた精神物理學もさうであつた。かゝる知的な意識内容から精神生活全般は無論の事、知的作用をも説き盡せない事は云ふ迄もない。そこで此主知論的な、意識内容の心理學は間もなく行詰つて仕舞つた。そこに一層の反省が加はる事により、心的働きの心理學が起つた。ブレンターノの心理學がそれである。又意識内容と心的働きとを併せて對象としようとする心理學も生じた。後者が長く心理學界を支配したものであつて、此迄の意識内容の研究に統覺を加へたヴントの心理學や、ブレンターノに系統を引くスツンプの心理學やヴントから脱化したキュルペの心理學等皆それである。所で心的働きを研究するとなると、働きを研究する働きが自己無視せられる。研究的考察を離れてもあるが如き心的働きを突止めなければならぬからである。此點を徹底的に研究しようとすると科學以上に出なければならぬ。ブレンターノの心理學が哲學的であり、ヴントの統覺の概念がヴント自身の抗辯にも不拘、哲學的な赴を持つ事等も此消息を語るものである。併しそれが知的な仕事である限り哲學的思索によつても此問題が徹底的に解決せられるかどうか、私は之を疑はざるを得ない。それは兎に角、科學の水準に於いては、心的働…

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