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井上先生
いのうえせんせい
著者西田 幾多郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「井上先生喜壽記念文集」 冨山房
1931(昭和6)年12月15日
初出「井上先生喜壽記念文集」冨山房、1931(昭和6)年12月15日
入力者岩澤秀紀
校正者フクポー
公開 / 更新2019-06-07 / 2019-05-28
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 井上先生の我學界に於ける功績の偉大なることは、あまりに顯著であつて、今更私などがかれこれ云ふまでもない。先生は實に語通りに我國の哲學界の元老である。私は久しく田舍ばかりに居たものから、左程先生に親炙する機會もなく、從つて先生について多くのものを語ることもできない。唯、先生の喜壽を祝すると共に、二三の思出を記すに過ぎない。
 私が先生に教を受けたのは明治二十年代の中頃であつて、先生が丁度洋行歸りの元氣旺盛の頃であつた。先生の講義はその頃一週二回であり、一回は印度哲學を、一回は哲學體系といつた樣なものを講ぜられた樣に記憶する。講義はいつでも午後の三時からといふ風で先生が襟卷をして、ステッキを持つて、校門を入つて來られた姿は、今も尚眼前に見ることができる樣な氣がする。私は氣儘者であまり、誰の講義にも出席せなかつたが、先生の印度哲學の講義は長く保存して居た、今も尚何處かにあるかも知れない。私はその頃何回か先生の私宅へも伺つたことを記憶して居る。その頃の選科生といふのは全く特殊部落扱ひにされたものだが、それでも先生はさういふことは眼中になく、人並に扱つて下さつたのを心よく感じた。學校を出てから私は全く田舍に蟄居して居たもの故、又先生に御目にかゝる機會もなかつた。年四十にして暫く學習院に居た頃、又時々先生を御尋ねした。そして先生が御多用中にも關らず、快く御逢ひ下され、且つ私の爲に色々御心配下さつたことを、今も尚難有思つて居る。京都に來て以來、又先生を御尋ねする機會もなく、御目にかゝることも稀であつたが、數年前先生の御病中一度御尋ねした。併しその時は御目にかゝることができなかつた。然るにこの二ヶ月前、久しぶりで先生を御尋ねした。もう十年以上も御目にかゝらぬと思ふので、先生も定めし老い込んで居らるゝであらうと思つてゐた。然るに先生はまだ中々元氣である、何處か尚若々しいものが殘つて居る、喜壽の人とも思はれない。先生は何か東洋哲學について考へて居らるる樣である。今後或一方に精なる人は出るであらうが、先生の樣な學東西に通ずる博大な學者は多く出ないであらう。我々は先生の百歳の長壽と更に學界への貢獻とを祈らざるを得ない。私共の教を受けた哲學の先生といふのはブッセ、ケベル兩先生逝き、元良中島兩教授の歿せられた後、獨り井上先生あるのみである。先生に御目にかゝる毎に深い懷舊の情に堪へない。



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