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哲学と哲学史
てつがくとてつがくし
著者桑木 厳翼
文字遣い旧字旧仮名
底本 「井上先生喜壽記念文集」 冨山房
1931(昭和6)年12月15日
初出「井上先生喜壽記念文集」冨山房、1931(昭和6)年12月15日
入力者岩澤秀紀
校正者フクポー
公開 / 更新2019-06-25 / 2019-05-28
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 哲學の研究に入るに當つて、人生問題其他の實踐的動機よりするものは暫く之を省き、單に其の理論的關心よりするものに就て考察すれば、其中に於て大體二樣の方向を區別し得ると思ふ。一は科學研究と關聯するもので、一は哲學史より入るものである。科學研究との關係にも又二種の別がある。或る科學原理を擴張して哲學原理とし、若しくは其原理より類推して或る哲學原理を構成するが如く、直接に科學から哲學に移り行くものであつて、一は此の如く科學に基づく哲學原理を建設しようとは試みず、たゞ是等科學の性質を吟味して其の基礎を確立せんとするものである。十九世紀の中葉に於て獨逸哲學の大組織崩潰後に榮えた哲學は、所謂科學的哲學中の第一種に屬するものであつたが、其後次第に其の科學自身の根據を檢討する要が生ずると共に、其は次第に第二種の科學的哲學に移り行つた觀がある。所謂第二種の科學的哲學は即ち科學の批評と稱せらるべきもので、新カント派の勃興と共に一時哲學の中心問題となつたものであるが、之に反して第一種の科學的哲學は科學を其まゝ哲學とする自然主義的實證主義的諸哲學説や、科學を超越したる哲學體系を組織せんとする自然科學的形而上學と稱せらるべきもので、何れも概して自然科學者出身の人々によつて唱道せられたものであつた。而して是等の學風が流行して居た時勢に際して、愈々、本來哲學研究より出發した人々は、多くは哲學史の研究に沒頭し、若しくは之によつて自家の見解を構成せんとすることに傾いて來た。即ち所謂第一種科學的哲學の時代に於ては、哲學史より哲學に入ることが、寧ろ正統哲學者の執るべき道と考へられて居たと言つてよいと思ふ。尤も正統といふのは其が優つてゐるとか、眞正だとかいふ意味ではない、たゞ其が傳統的哲學者の群に屬することを指すのである。
 哲學史から哲學に入るものにも亦二種の別が認められる。一は古來の哲學史を通覽し、其中に存する或る論理的關係を認めて、其處に哲學の問題と立場とを發見しようとするものである。一は之と異つて、一二の哲學大體系に就て其の憑依すべき所を求め、其中に存する問題と概念とを發展分析してこゝに自家の學説を構成しようとするものである。前者は哲學史を一個の統一體と見るもので、之によつて大體系を組織したものとしては何人もヘーゲルを指摘し得るが、ヘーゲル學説の一時權威を失つた頃には、勢此種の哲學史觀も一般に認容せられず、哲學史研究に入る者は漸次其中に存する各種事實の細點に就て、考證穿鑿を試みるやうになり、之を概括する※[#こと、420-13]さへも避ける傾向があつたから、況して之から自家の哲學説を抽出す如きことを試みることを敢てするものなどはなかつた。隨つて哲學史の研究者は專門的に哲學史研究家となり、之によつて哲學説を構成せんとするものは一二の古哲を宗師として自説に資するやうになる。ヘーゲルの後に…

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