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ベートーヴェンの生涯
ベートーヴェンのしょうがい |
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作品ID | 54374 |
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副題 | 09 訳者解説 09 やくしゃかいせつ |
著者 | 片山 敏彦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「ベートーヴェンの生涯」 岩波文庫、岩波書店 1938(昭和13)年11月15日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2012-01-01 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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ロマン・ロランのベートーヴェン研究について
ロマン・ロラン(Romain Rolland)にとってはその少年時代以来、ベートーヴェンは最大の魂の師であった。「生の虚無感を通過した危機に、私の内部に無限の生の火を点してくれたのはベートーヴェンの音楽であった」とロランは『幼き日の思い出』の中に書いている。二十三歳のときパリの母校高等師範学校の留学生としてローマに行き、当時七十歳をこえていたドイツの老婦人マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークと精神的な深い交誼をむすんだときに、ベートーヴェンの音楽への理解はロランにとっていっそう深まるとともにいっそう意味のあるものとなって来た。マルヴィーダはヴァーグナーとニーチェとリストとの親友であった。彼女は若いフランス人ロランのためにゲーテやシルラーのドイツ文学に通じる精神の扉をひらいてやった。当時すでに立派なピアノ演奏の技術を身につけていたロランのために彼女は一台のピアノを借りた。昼間ヴァティカンの書庫の中で史学の文献書類を調べる仕事に疲れたロランはほとんど毎夕マルヴィーダの家――その数年前まで存命していたフランツ・リストが、そこに来て魔力あるアルペジオを掻き鳴らすこともしばしばであったその家を訪れて、バッハやヘンデルやベートーヴェンを弾いた。ロランの演奏を聴いてマルヴィーダは書いている――
「ベートーヴェンの世界霊を私は享受した。そこでは、この世に生まれた者の最も深い悲しみが、神に近い精霊らの最もけだかい慰めと浄福とに融け合って表現せられる。」(一八九〇年四月十二日および二十四日)
「心の最良の瞬間に心眼の前にうかび漂い、普通の現実の上高く心を高めるところの或る完璧な現実の予感と、欠陥の多い現実世界とを真に和解させるものは音楽である。人類のあらゆる偉大な教師らは音楽を必要とした……宇宙のリズムについてのピタゴラスの考えは、実際何と美しくけだかいものであったか!」(『一生涯の夕暮』より)
その頃、マルヴィーダとロランとが最も深く傾倒したベートーヴェンの作品の一つは作品第百六番のピアノの奏鳴曲であった。(ロランはこの作品のアダジオを『マルヴィーダのアダジオ』と呼んでいる。)そしてこの第百六番についてのロランの研究が初めて発表されたのは今年(一九三八年)の春である。すなわちローマでの体験から五十年以上の歳月にわたってベートーヴェンの音楽は、ロランの魂の伴侶であるとともに、そしてその故にまた彼の知性の研究対象であった。
ここに訳出した『ベートーヴェンの生涯』(“Vie de Beethoven”)は、ロランがベートーヴェンについて発表した最初の作品である。これはシャルル・ペギーが編集していた定期叢書カイエ・ド・ラ・カンゼーヌの第一巻として一九〇三年に初めて世に出た。この論文の中には、その後さらに複雑に展開したロランの二つの要…